リーダーなるということ
自分にとって、ジーザスライフハウスで一番磨いてきたスキルといったら、
リーダーシップだろう。
また俺はリーダーとして完璧でもないし、まだまだ先がある。
でも最近頭に過ぎる言葉はこれだ。
“リーダーになるということは、自分の権利をどんどん縮小し、責任感を増していくこと”。
これは多くの偉大なリーダー達が言っていることでもある。
リーダーシップのマスターでもあるイエスも同じことをペテロに言った。
“あなたが若いころは自分の着たい服を着、行きたいところに行った。でもこれからはあなたは自分の手を広げ、他の人があなたに服を着せ、あなたが行きたくないところに連れて行くだろう。” ヨハネ21:18
これはペテロがどのような残りの人生を過ごすかの預言でもあった。
でもそれ以上にイエスは彼のリーダーシップのことを言っていたと思う。
そして、その後ペテロは歴史上初の教会のリーダーとなった。
人生でリーダーになり、大きなビジョンを成し遂げるためには犠牲を払わなければならない。
多くの人々は成功者の成功の部分だけを見て、ねたみ、それを欲しがる。
でもその成功者達がどれほどの犠牲を払ってきたかを知らない。
彼らは、時間、努力、お金、あるときは人間関係を犠牲にして成功につながる。
それが神の為にしたことなら、神は何倍もの祝福を返してくれるだろう。
そうでないのなら、富と成功を得る代わりに、本当の幸せを失うだろう。
でもすべての偉大なリーダーが捨てなければならない共通の要素がひとつある。
それは“自分”だ。
イエスはまた言った、“誰でも私についてきたいと思う者は、自分を捨てて来い”と。
また“リーダーシップは仕えること”だともイエスは言っている。
俺たちは、“自分のしたいこと”、“自分の心地良さ”、“こうでなくてはいけないという自分の権利”、“自分勝手な夢や願望”、“自分の為だけの利益”をすべて捨てていかなければ、素晴らしいクリスチャンリーダーにはなれない。
俺にもクリスチャンになったばかりのときは、それらを捨て切れなかった。
“このようなスタイルの牧師になりたい”、
“こんな音楽スタイルでワーシップを導きたい”、
“こんなスタイルの教会のほうが良い”、
“こうすれば良いのに、ああすれば良いのに”、
“なんで神様に用いられないんだ・・・、他よりも俺のほうが良く分かっている”。
そして自分の思いどうりにやらせてくれない教会に対してネガティブになり、それをさせてくれる場所やミニストリーを求めてさまよう。
そう、すべては自分の権利と見方を主張していた。
神の為と言いながら、結局はリーダーに反抗し、自分ならもっとマシにできるというプライド。
神が嫌う最悪の罪だ。
そして多くの若いクリスチャンも同じ罠にかかっていると俺は感じる。
結局は、神と人々のため。
教会は神と人々、人々と神。
他の人を育てるため、導くため、弟子訓練するため、自分よりも偉大なものにするためでないのなら、すべては偽りだ。
それは神のためではなく、自分の欲望のため。
それに初めて気付いたとき本当のリーダーとしての成長が始まったと思う。
そして自分のリーダーに仕えるという大切さ。
上のリーダーに従い、その人を自分以上に建てあげる事の大切さ。
自分のリーダーを大物にする大切さを学んだ。
それが神の方法であり、本当の成功への道。
そして俺自身が自分のリーダーに仕えたように、俺も将来仕えられるだろう。
自分で撒いた種は自分で刈り取る。
もしリーダー、教会を裏切るなら、自分も将来裏切られる。
中途半端に仕えるなら、将来でも中途半端な弟子しか自分に付かない。
影で文句を言うなら、自分も影で避難されるだろう。
皆のリーダーシップはどうかな?
もし今までのリーダーシップが自分中心であるなら、そこから先へは行けない。
俺たちの限界を突破しよう!“自分”という殻を破って!
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