生き方

2009年10月29日 (木)

リーダーなるということ

自分にとって、ジーザスライフハウスで一番磨いてきたスキルといったら、
リーダーシップだろう。
また俺はリーダーとして完璧でもないし、まだまだ先がある。

でも最近頭に過ぎる言葉はこれだ。
“リーダーになるということは、自分の権利をどんどん縮小し、責任感を増していくこと”。

これは多くの偉大なリーダー達が言っていることでもある。
リーダーシップのマスターでもあるイエスも同じことをペテロに言った。

“あなたが若いころは自分の着たい服を着、行きたいところに行った。でもこれからはあなたは自分の手を広げ、他の人があなたに服を着せ、あなたが行きたくないところに連れて行くだろう。” ヨハネ21:18

これはペテロがどのような残りの人生を過ごすかの預言でもあった。

でもそれ以上にイエスは彼のリーダーシップのことを言っていたと思う。
そして、その後ペテロは歴史上初の教会のリーダーとなった。

人生でリーダーになり、大きなビジョンを成し遂げるためには犠牲を払わなければならない。
多くの人々は成功者の成功の部分だけを見て、ねたみ、それを欲しがる。
でもその成功者達がどれほどの犠牲を払ってきたかを知らない。
彼らは、時間、努力、お金、あるときは人間関係を犠牲にして成功につながる。
それが神の為にしたことなら、神は何倍もの祝福を返してくれるだろう。
そうでないのなら、富と成功を得る代わりに、本当の幸せを失うだろう。

でもすべての偉大なリーダーが捨てなければならない共通の要素がひとつある。

それは“自分”だ。

イエスはまた言った、“誰でも私についてきたいと思う者は、自分を捨てて来い”と。

また“リーダーシップは仕えること”だともイエスは言っている。

俺たちは、“自分のしたいこと”、“自分の心地良さ”、“こうでなくてはいけないという自分の権利”、“自分勝手な夢や願望”、“自分の為だけの利益”をすべて捨てていかなければ、素晴らしいクリスチャンリーダーにはなれない。

俺にもクリスチャンになったばかりのときは、それらを捨て切れなかった。
“このようなスタイルの牧師になりたい”、
“こんな音楽スタイルでワーシップを導きたい”、
“こんなスタイルの教会のほうが良い”、
“こうすれば良いのに、ああすれば良いのに”、
“なんで神様に用いられないんだ・・・、他よりも俺のほうが良く分かっている”。

そして自分の思いどうりにやらせてくれない教会に対してネガティブになり、それをさせてくれる場所やミニストリーを求めてさまよう。

そう、すべては自分の権利と見方を主張していた。
神の為と言いながら、結局はリーダーに反抗し、自分ならもっとマシにできるというプライド。
神が嫌う最悪の罪だ。

そして多くの若いクリスチャンも同じ罠にかかっていると俺は感じる。

結局は、神と人々のため。
教会は神と人々、人々と神。
他の人を育てるため、導くため、弟子訓練するため、自分よりも偉大なものにするためでないのなら、すべては偽りだ。
それは神のためではなく、自分の欲望のため。

それに初めて気付いたとき本当のリーダーとしての成長が始まったと思う。
そして自分のリーダーに仕えるという大切さ。
上のリーダーに従い、その人を自分以上に建てあげる事の大切さ。
自分のリーダーを大物にする大切さを学んだ。
それが神の方法であり、本当の成功への道。
そして俺自身が自分のリーダーに仕えたように、俺も将来仕えられるだろう。
自分で撒いた種は自分で刈り取る。

もしリーダー、教会を裏切るなら、自分も将来裏切られる。
中途半端に仕えるなら、将来でも中途半端な弟子しか自分に付かない。
影で文句を言うなら、自分も影で避難されるだろう。

皆のリーダーシップはどうかな?
もし今までのリーダーシップが自分中心であるなら、そこから先へは行けない。
俺たちの限界を突破しよう!“自分”という殻を破って!






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2009年10月16日 (金)

弟子を作っていくことの重要さ

弟子を作ること、これはジーザスライフハウスの最大の長所であり、今の世界中の教会に必要なことだと思う。

教会はサイズだけならいくらでも大きくすることはできるだろう。

素晴らしいワーシップや人の好みに合わせて教会を構成すればある程度人は集まる。
でも本当に永遠に残る教会は、外側(イベントや人々のニーズに合わせたミニストリー)では確立できない。それはイエスの人生のフォーカスにもはっきりと反映されている。
イエスの地上での人生の最後の三年間。そこでイエスは何に一番時間を費やしただろうか?

イエスは本も書かず、組織も立ち上げず、ビジネス会社も作らず、ましてやカウンセリングミニストリー、カンファレンスや伝道集会すらもしていない。海外へ飛ぶこともせず、イスラエル国土内で神様の国を伝えただけだった。もちろんネットもない。

それでも彼の影響力を通して世界が変わり、歴史でさえも区切ってしまった。
その秘訣は?

それは弟子だ。

12人の弟子を集め、一人は裏切ったが、11人を中心に世界にイエスの教えが伝わって言った。トマスはアジアへ渡り、パウロはローマやコリントなどの国々へ。ペテロは地域教会(マザーチャーチ)としての責任者として、そこからリーダーシップと指示の責任を持って世界を変えた。12人のイエスの弟子が元となることによって、世界が揺るがされたのだ。

イエスは彼らの可能性と未来を見据え、常に共に過ごし、そしてクリスチャンリーダーとして鍛えていった。そして彼が言ったことはこうだ、”私は私の教会を建てる”、”そして世界の人々を弟子として、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けろと”。

そう、弟子を作ることが最大のミッションであり、目的だとイエス自身が言っている。

これは今の時代のクリスチャンにとって最大のチャレンジだろう。
弟子を作ることよりも、ダイナミックな説教をすること、預言やカウンセリングでミニストリーを建てること、伝道集会でできるだけ多くの人を呼んで救うこと。これらのことは良いことだが、必ずしも人間関係と弟子の関係が構成されるとは限らない。正直言うと、これらの陰に隠れて、密接な人間関係を築くことを恐れてしまっているクリスチャンが多い。
なぜならある意味楽だからだ。

“伝道者”や“メッセンジャー”、“預言者”、“クリスチャンアーティスト”として教会をやイベントを回ることはエキサイティングで、外側の華やかさがあるだろう。メッセージでも同じものを起用すれば良い。でも逆に、そこで救われた人と実際に関わり、人間関係を持っていくことはある意味現実的なことだ。

そこには人との葛藤があり、時には理解してもらえないことや、嫌われること、バックスライドするクリスチャンたち、うまくいかないのを自分のせいにされたり、がっかりすることがいっぱいだ。ある意味華やかではなく、ドロドロした人間の性質との戦いだ。イエスが言ったように“お前らはなぜ分からないんだ”と弟子に嘆く時は何度もある。

だから多くのクリスチャンはで弟子訓練から遠ざかってしまう。
神様の為には何かしたいが、他の人を弟子訓練することを恐れる。そしてそれから目を離し、華やかなミニストリーだけ求め始める。そして弟子訓練をしようとする“普通の人間関係”がある“教会という存在”から離れ、さまよう。
最悪のケース、クリスチャンの“エキサイティング”な部分だけ求めるようになり、興奮するミニストリーや宣教へ、聖書学校へと点々とする。でも実が出ていない、弟子も自分の人生にはいない。ましてやキャリアや仕事もままになってなく、途方にくれる。
実はこれは俺自身がさまよっていた“フェイクのクリスチャンの世界”だ。
多くの若いクリスチャンも同じ状況にいると思うし、実際に会ってきた。

弟子訓練から逃げることは、結局自分自身からと神様から逃げていることだと分かった。
心と情熱を置ける教会に身を置き。クリスチャン人生をゼロから始めることをしなければならなかった。クリスチャンとして普通に働き、“普通”のなかでも神と喜びを見つけ、”普通”のなかで普通の世界を変えていく。そうイエスがしたように、イスラエルという国(彼にとって普通だった)から変えていった。そこには毎日・毎週会う人達がいる。喧嘩も葛藤もあるでも、本当の仲間ややるべきこと、使命、そして本当の弟子達がいる。

今俺のセルグループの中には10人のリーダーたち(弟子達)がいる。同じビジョンをもち、同じ日本人の為に情熱を持ち、同じ教会で世界を変えようとする仲間だ。ひとりひとり個性もあり、面白い奴らだ。

そいつらと毎週会うのが楽しい。そして会うたびに俺の使命と将来はこいつらと共にあると確信できる。イエスが12弟子たちと同じだったように。今ならイエスの思いが理解できる。
イエスが自分の弟子に言ったように、“お前達は俺よりもでかいことを成し遂げるだろう”と
俺は自分のリーダー達に思う。そして天国で永遠に仲間、そして同士として過ごせるだろう。

皆にチャレンジしたい。みんなにはそのような仲間(弟子達)がいるだろうか?
一人、二人でも良い。同じ教会に根付き、同じビジョンを共有し、生きている仲間を。
それが真の教会を立ち上げ、日本が変わると思う。

弟子訓練を。人間関係を優先順位にしよう。
“教会は神と人々、人々と神” ブライアン・ヒューストン
人々がいる教会と一緒に成長し、使命を全うして欲しい。

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2009年7月31日 (金)

一人ぼっちの日本人?

最近、よく考えていることは“仲間”という存在だ。

最近の日本人を見ていると、結構ひとりで何かをするという人が多いね。
おれ自身、海外へ行くまではそれが当たり前だと思っていた。
海外ではこのことが当たり前ではない。

一人で映画を見に行く日本人。
一人でレストランに入り、食事を堪能する日本人。
一人で旅行し、他の文化を楽しむ日本人。
一人でショッピングをし、カフェに座り、町並みの様子を見ている日本人。
一人で趣味に浸り、一人で何かにはまる日本人。
一人で自然に浸り、四季を味わい、何かを感じる日本人。

多くの人はこれを読み、“何が悪いんだ”と言うかもしれない。
別に悪いことじゃない。でも必ずしも良いことでもない。

でも日本人はもっとその“楽しみ”、“味わい”、“喜び”、“発見”、“考え”、“思い”、“時”、そして人生そのものを他の人と分かち合ってもいいと思う。

俺もこれらの事をずっとしていた。そしたらある日、外人の友達に言われた。
“何で一人なの?”、“俺も一緒に行っていいかな?”
俺はそこで気付いた。一人でする必要はないんだと。
一人のほうが楽な時もある、ショッピングや旅行などでの決断とかそうだよね。

でもそこで一人を選んでしまったら、大切な何かを失っていると思う。
人間としての何かを。分かち合い、お互いに学び、時には傷つけあうけど、また成長するチャンスを。
俺たち日本人はそういうことから逃げてしまっているのかもしれない。
引きこもり・ネット難民。みんなそうだ。
人間関係からの逃げに入っている。

聖書にはこういう言葉がある。
“二人は一人よりも勝っている”。
“人が一人でいるのは良くない”。
“つまずいても、引き起こしてくれる人がいない人生は虚しい”と。

今、俺は猛烈に“仲間”という存在に感謝している。

同じビジョンを持ち、同じ目的にために命をかける仲間。
お互いを見るのではなく、同じ方向を見つめている仲間。
失敗しても挫折しても、同じ勝利のために助け合う仲間。
批判されたときに、人生の本当の使命を思い起こさせてくれる仲間。

こんな素晴らしいジーザスライフハウスの仲間を与えられていることが奇跡だ。
そしてこれ以上の確信と強さはない。

すべての人が仲間にはならないだろう。
俺たちの考えや、ビジョン、価値観、またはやり方が嫌いな人もいるだろう。
それはそれで良い。

同じ志と強さと思いを持った人達と人生の旅をしたいよね?

みんなには“仲間”がいるかな?

いなければ見つけて欲しい。

その第一歩は、自分勝手さから卒業することだ。
自分の為ではなく、他の人の人生のために。
自分よりもっとでかい夢とビジョンのために。
その心さえ持っていれば必ずその仲間に巡り合えるだろう。

でもプライド(自己中)は俺たちを孤独にする。
一人で生き、一人で死んでいくだろう。

仲間に出会えるように!


ここで見つけられる人もいるかも?
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2009年7月27日 (月)

革サムライ

一昨日ちょっと面白い映画を見に行った。
俺、革ジャンがめちゃくちゃ大好きなのだが、その中でもお気に入りのブランドがある。
それはバックラッシュいうやつで、イサムカタヤマという革職人がすべて手作りで作っているものだ。その人は人柄もすばらしく、みんなから尊敬され、結局彼を尊敬するある映画監督が彼の人生をドキュメンタリー映画にしてしまった。

カタヤマさんはヨーロッパでもミラノやパリに客を持ち、"レザーサムライ"として有名だ。とことん革だけを追求し、妥協は絶対しない。ただ売るためや金のためには作らない。でも自分の皮を理解してくれる人たちだけに着てもらいたいという熱さ。彼の店も本当にアンダーグラウンドで店の近くに行っても、どこか分からないほどだ。しかも一軒しかない。
36歳まで自分の夢を突き通すためにアルバイトをしながら、レザーで世界に喧嘩を売ってきた。そしてここ最近になって成功している。

有名人の誰かが彼の革ジャンを着たいと言っても、“じゃ、そいつ自身が俺のところに来てお願いしろ!”とまで言ってる。

日本人でここまで熱いやつがいるということに感動した。しかもMADE IN JAPANであることを誇りに思っている男だ。

メンズファッションはそのファッション性以上に誰がそれを作っているかにこだわることが多い。ようはカッコいい服を買うと同時に、その職人の生き様も買っているようなものだ。

カタヤマさんの周りには自然と彼を慕うものたちが集まるらしい。家族も大切にし、仕事仲間も兄弟のように扱い、仲間たちをいつも助ける態度。また成功したいと熱心な奴がいて、カタヤマさん自身が感化された場合、金銭的にもその人の夢を助けることもしている。
スタッフも雇うのではなく、自分から育てたいと思った人にに進み出て、弟子にしているらしい。JLH(教会の概念)と同じじゃないかとまで思った。

なかなか今の日本にはいない珍しい男かもしれない。

俺の思いは、多くの日本人に同じような志と強さを持って欲しいということだ。
革のようにいずれ尽きてしまう物のためではなく、永遠に残るもののために。
それは永遠の神、そして人々の魂だ。人のために生き、彼らが自分の人生の本当の使命を全うできるように・・・。

革に対してもここまで熱くなれるのなら、自分の人生の使命や人を救うことにはもっと熱くなれるはず!

元マイクロソフト社のビルゲイツも同じだ。自分の富を自分のためだけではなく、マラリアという病気をこの世から絶滅させるために莫大な財産を投資している。熱い男の中の一人だ。

牧師としてそのようなでかいことをできる男たちを育てて生きたい、またそのリーダーとしての生き様をもっと鍛え、熱くなっていきたい。

みんなはどのような熱い男、または熱い女を目指しているかな?

ここには多くの熱い奴らがいる。
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2009年2月20日 (金)

お久しぶり!

最近アップ全然していなかったね。ごめんごめん。

今年もよろしく!

この間、日本人牧師達が集まる大会(カンファレンス)に参加した。
毎年やっているこの大会だが、去年も行ったんだよね。
今年はすごく若い牧師やリーダー達が前より来ていてかなり励まされました。
ホント次世代がこの日本と世界を変えていかなければならない。
もっと若い神のリーダーたちが育って欲しいと思う。

またこの大会ではジーザスライフハウスの牧師達がシェアする機会も与えられた。
そこで、俺も含めJLH大阪のルーク、俺たちの主任牧師のロッド先生がシャアしたんだよね。

話したテーマは、次世代教会を成長させる鍵についてだ。
内容はメチャクチャ簡単だ。

まとめて言うと、“この世代で日本を変えられることを信じきること。そしてそのために神様は必要な聖霊を俺たちに注いでくれている。そこから来る喜び、信仰、勇気とビジョンをさらけ出して一人ひとりが生きていくこと”。
またこれはリーダーである牧師達がそうなっていかなくてはいけない。
牧師が暗くなっちゃいけない。リーダーたちがネガティヴで落ち込んでいてはいけない。

ジーザスライフハウスの本当の強さは、神様に言われた単純でシンプルなことを実践していることだと思う。

普通に神様にあって喜んでいる人達が多い。そして常に聖書を読み、やれと言われたことを実行に移す。祈りも特別な人達だけが祈るのはなく、いつでもどこでもみんなが日常で祈る。
単純だ。大それたセミナーや“深い”教えも必要ない。1000ページもあるような神学の本を読んでから神聖なクリスチャンになる必要ない。ただ聖書に基づいて生きている。それがJLHの土台。

宗教とは簡単にする代わりに難しくしてしまう。 信仰を広げみんなに“誰でもできるんだよ”と伝える代わりに、グループや宗派に分けて“入りずらく”してしまう。

あたかも世の中と別離して生きなければ神聖になれないかのように。もちろんクリスチャンは世の中には属さない。でも神であるジーザスが地上で、世の中で生き、光り輝いたように。俺たちも輝かなければいけない。頭でっかちだけの神聖さではなく、神のライフスタイルで。

(ローマ14:17-18) なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 

そこでみんなに質問。
義とは神様との関係がしっかりして、周りの人間関係も健康であること。
友達や家族、上司や同僚を赦してしていますか? 過去に傷つけられた人やまた教会のリーダーを恨んでませんか?

平和とは心の安定。いくら周りの状況が最悪でも神の平和があれば安定できる。
将来を信じて、ビジョンの為に生きる代わりに、今の状況にストレスがたまり心配してませんか?

喜びは、一時的な状況任せの幸せではなく、いつでも持てるもの。そして周りに伝染するもの
だから喜んで毎日生きている? スマイルしてる?
周りの人に対して勇気や励ましを与えている?

これができていればドンドン成長できると思います。
うちのロッド先生はマジで宗教を嫌う人です。ジーザスに対する信仰の複雑さを持ち込もうとしたり、“俺は特別に誰よりも神聖だ”などという態度は絶対に受け付けない。
おれ自身JLHに来てから、“宗教”を脱ぎ捨てることを毎日学んでます。

最後にロッド先生の好きな聖書の箇所で終わろう。
To be mature is to be basic.(Col 1:26-29 The Message)
“成熟するということは基本にもどること”(コロサイ1:26-29 メッセージ訳)

シンプルに成長しよう!

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2008年12月 5日 (金)

クリスチャンになった理由 Part 5

前回からの続き・・・

聖書を開いた俺はどこから読んで良いか分からなかった。
そこでペラペラめくっているときに目に入ったのが、旧約聖書にある“伝道者の書”だ。
忍者の巻物みたいな名前だし、短いからそこから読み始めた。

 "エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう" 伝道者の書 1章から

って、こんな感じで始まる本である。
それを読んだ俺は、はっきり言って落ち込んだ。
なぜなら人生は虚しいと心でも分かっていたからだ。
人はこの世から何も持ち去ることはできない。
裸で生まれ裸で死んでいく。

3週間ぐらい何もやる気がしなかった。
俺がそんな感じでウツになっていると、俺のクリスチャンの友達リチャードに笑われた。
リチャードはこう言った、“お前は伝道者の書の本当のメッセージを分かっていないよ”と。
“じゃ本当のメッセージは何なんだ?”と俺は応えた。
“もう一度読んで見ろ。特に最後のほうを”と言われた。

そして俺はもう一度読んで見た。
そして気付いたことは、“神なしでの人生は虚しい”ということだった。
永遠に続く土台なしでは人生は虚しいと分かった。
お金、物、服、家、人でさえいずれは滅びる。永遠に続くものは神以外にない。
この聖書が言っていることに共感した俺は新約聖書も読み始めた。
なぜならすべて旧約聖書で言っていることは新約聖書を指しているからと教えてもらったからだ。

イエス・キリストのこと、キリスト教会が始まった物語、多くの奇跡。
それらすべてを読んで見た。
なぜキリストが十字架で死ななければならなかったのかが一番分からなかった。
俺たちが罪を犯したということもピンとこなかった。
罪という言葉自体がよくわからなかったのだろう。
でも罪=的をはずした人生(神様なしの自分の為だけの人生)ということが分かった。
そして一番印象を受けたのは、変わるために力が神様から与えられることだ。
人として生まれ変わり、新しく始める人生。
この前も言ったが、他の宗教は基本的に“自分で何とかしろ”だ。
でもキリスト(救世主)が言うのは“変わるためにお前を助けよう。私がお前の力となろう”だ。
最初は弱い人間だけがそうすると思っていた。
でも違った。弱いから神を信じるのではなく、自分の弱さを受け入れられる強さがあるから信じるのだと。
だからジーザスを信じるものは強い。
なぜなら自分の弱さを知り、それを受け入れ、自分を少しずつ変え、本当の自分を知り、長所を生かして生きている人達だからだ。

俺は賭けてみた。本当に変われるのならと思い。ジーザスを信じて見ようと思った。
すべては分からない。でもそこに可能性があるなら賭けて見る価値はあると思った。

ある日、俺は自分のルームメイトに俺がジーザスを信じたことを伝えた。
俺の為に毎晩祈ってくれたイタリア人の友達だ。
そこで返ってきた反応は、“おい、そんな嘘言ってると殴るぞ!”だった(笑)。
“お前祈ってたんだろう!”と俺は応えた・・・。

ひどい人間だった俺がクリスチャンになったとはとても信じられなかったらしい。

そう神様は聖書でこう言っている、“神は世の中の愚かな者を選び、自分が賢いと思っている者達を見下すと”。

俺は本当に変わり始めた。信じられないほど変わり始めた。
俺の力ではなくジーザスの力で。
ジーザスに関して分からなかったことも分かり始めた。
ジーザスが十字架で死んだ理由は、俺たちに神様への道を示すため。
神だった存在が、人間という形で地上で行き、神自信が神さまへの道を開き、神と人との間にあった壁(罪=神を無視する人生と思い)を自分が十字架で背負うことによって取り除いた。
それを信じる者は救われる(永遠の命と天国へ行く保障)を与えられる。

最初はあまりにもおとぎ話のようだった。
でも思った、“奇跡を信じて見ても良いかも”って。
奇跡や夢、そして希望を信じられない人間にはなりたくない。
世の中が作り出し“現実”と呼んでいる現実ですら“本当の現実”ではないと思う。
人の見栄や意見、自分勝手さや文化から生まれたものが多い。それが必ずしも良いものとは限らない。
だったら俺は“神の現実”を信じたいと思った。
多くの人々の人生を変えてきた聖書という神の言葉で・・・



これからのストーリーはまた機会があったら話しましょう。


これを読んでいた人達で、まだジーザスを信じていない人がいるなら、是非信じて欲しい。
本当の自分と世の中のあり方を知って欲しい。
本当のすばらしい人間関係を築いて欲しい。

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2008年11月28日 (金)

クリスチャンになった理由 Part 4

遅くなりましたが、前回に引き続き・・・。

ジョニーの友達の家を離れた俺は行く先もなく金の無駄使いもできないので、チューリッヒの空港で3週間過ごすことにした。日中はスイス中をバックパックで歩き回り、夜には空港にもどりベンチで寝た。街中に出るときはバックをロッカーに預け遊んでいた。
そんな中あまりにも時間があったので、ジョニーに“神を見つけろ”と言われた俺は考え始めた。

どうやって本当の神を見つけようかと。
日本人として一番身近にあるものは仏教ってことで仏教のことを色々調べ始めた。
本やインターネット様々なものを通して仏教の考え方や教えなどを勉強した。
結局分かったことは、仏教は自分で自分を変えて神に近づけだった。仏教の祖であるブッダ(釈迦)である本人ですら“私は神ではない”とはっきり言っていた。考え方や教えは素晴らしい、でも問題は俺にはいくら努力しても自分を少ししか変えられなかった。しかも行き着くところは必ずしも神とは限れない。
そのあとイスラム教、ヒンズー教も勉強した。2つともその国の文化とかなり融合した宗教だ。
そういう意味でもユニバーサルな信仰ではないと感じていた。日本でイスラムやヒンズーの信者としてやっていくのははっきり言って文化的に無理がある。

さらにそのすべての宗教に共通していたことがあった。
それは、結局“自分で何とかしろ”だった。
良い事して、座禅組んで、悟りを開き、預言者に従い、同じ方角にある決まった時間に祈り、そして最終的に死んだときには天国に行くかもしれないである。その神々の気まぐれによって死後の行き先が決まってしまう。

正直言って“なんだそれ?”って感じだった。

そんな中、3週間後にはイギリスの英語学校に戻り、俺のクリスチャンの友達に再会した。
イギリスに戻ったとき、一番最初に会ったのは、語学学校の校長先生であるマーガレット先生だ。彼女はメチャ厳しく、学校をサボっていた俺をたたき起こしにきたりしていた、母ちゃん的存在だった。
そのマーガレット先生が俺を見た瞬間こう言った、“竜太、スイスで何があったんだ?”。
俺は驚いた。“なぜ何かがあったんだと分かったんだ?”と聞いた。
そしたら彼女は“お前の顔つきが3週間前とはちがう。”
“何かを追い求めているんだろう?”というのである。
そして更に彼女はこう言った、“お前の探している答えはすぐ近くにある”と。

それから俺は俺のクリスチャンの友達に相談した。
スイスで起こったことや、神を探していることも話した。
彼らは一言こう言った。“お前が探しているのはジーザス(イエス)だ”。
“でもおまえは俺たちが何を言っても信じないだろう。”
“だからこの聖書を読んで見ろ”と言った。

そして俺は学校も行かずに聖書を一日中読み始めた。
飢え乾いているかのように、人生の答えをみつけようと聖書を開いた。

To be continued... 続く…

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2008年11月11日 (火)

クリスチャンになった理由 Part 2

イギリスの田舎町にあるクリスチャン語学学校についた俺。

周りはクリスチャンだらけ。しかも田舎でやることがない。
だから俺は学校をサボって、憧れのイングリッシュパブに行き始めた。
ちょうどよくスイス人のある奴が俺と一緒にパブに行きたいと言い、友達になった。

そう俺は英語をパブで学び始めたのだ。
最初に学んだ言葉は“a paint of beer, please” “ビール、ジョッキでくれ”だった。
しかも俺の英語でのコミュニケーションは語学学校にサボらず行っている生徒達より上達が早かった。

なぜだ? 

それは語学とは勉強するものではなくしゃべるものだからだ。
余談だが日本の英語力は世界でもほぼ最下位だそうだ。それは英語のスタディーを読み書きから入ってしまっているからそうだ。

とにかくそんな形でイギリス文化に溶け込み始め、英語も上達して言った。

しかしそんなことをしていく中、いろいろな悪いことをそのスイスの友達から学んでいった。

彼の名前は出せないので仮名で“ジョニー”と呼んでおこう。
ジョニーは俺より5歳年上で、結構クールでハンサムな兄貴タイプの友達だった。
奴は“自分はクリスチャンです”と言いながら、酒はガンガン飲むは、麻薬はやるは、女遊びもひどい。 俗に言う“サンデークリスチャン”という奴だ。日曜日に教会行くだけで人生は全くダメな人のことを言う。

とにかく、そいつから色々な悪さを吸収しはじめ一年後には奴と同じ生き方をしていた。
そんな中クリスチャンが大勢いる環境にいたため、周りからは白い目で見られるようになり、学校でも問題児だった。

ジョニーと過ごす時間はすごく楽しいと共に、麻薬やデロデロに酔っ払うたびに虚しさを幾度も感じた。大学の代わりにイギリスに来て将来を切り開くはずだったのに、実際にしていることは先に進むどころか、どん底に落ち始めているような危機感もあった。
ジョニーは俺にも心を開き始め、持っていた問題も分かち合い、いつの間にか親友になっていた。

でもこのような人生が永遠に続くわけもない。彼はあくまでスイスから来た語学学校生。
一年後にはスイスに帰ってしまった。
それでも親友になった為、おれ自身スイスへ遊びに行き、そこでドラッグパーティーなどを開いたりしていた。

将来のことなどどうでもよくなっていた。ただこのライフスタイルがカッコいいと思いながら、それが永遠に続くかのように遊んでいた。

でもある日、俺の人生を180度変える出来事が起こった。

To be continued つづく・・・・

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2008年11月 7日 (金)

クリスチャンになった理由

今回から数回に分けて、ジーザスに出会うまでのストーリーをシェアして行こうと思う。
よく言われる、“え? クリスチャン?”、“え?牧師? 何でですか?”と。

クリスチャン一人ひとりには“証”という個人的なストーリーがある。それは他のどんな宗教にもないものだ。それはキリストだけにある救世主という概念がほかの宗教や理想にもないことだから。普通の宗教は、“人間がどうにかして神に近づく”がコンセプト。キリスト教は“神が人間に近づく”が基本だ。 だから恵みや信仰、希望がクリスチャンにはある。

まーとにかく。俺がジーザスにどうたどり着いたのかというストーリーを語ろう。

俺は東京に生まれた。
小さいころから負けず嫌いで、いつも気が強くやんちゃで活発的だった。
運動会ではなんでも一番にならないと大泣きしていたぐらいだ。
七歳までは巣鴨の近くの保育園・小学校に通い、普通の明るい少年時代という感じで過ごしていた。
でもある日、突然東京から引っ越して、千葉県に移ることとなった。理由は俺のオヤジのギャンブルが問題だったからだ。東京ではオヤジにとって誘惑が多すぎるということだった。子供のころパチンコ屋にオヤジをよく迎えに言ったのを覚えいる。
悲しい記憶だ。

何も分からずに千葉にやってきた。環境も変わり、オヤジが俺に(軽くだが)暴力的に八つ当たりするようになり、自分の活発的な性格もそれにより変り始めた。結局そんな中、両親は完全に離婚し、母の仕事も忙しくなって行った。

こんな環境の中、10代になった俺は色んな悪さをし始めた。住んでいた地域の治安も悪く、特に中学校・高校はマンガに出てくる不良たちがいるような学校が多い。
母も仕事で忙しく、ほぼ自由に遊び、悪さをしていた。

いま思えば色々な悪事を行うなかで自分のアイデンテティーや居場所を探していたのかもしれない。

そんな感じで18才になったときには、人生の方向性も決まらず、ましてや大学に進む勉強もしていなかった。すべてにおいて怠けていた感じだ。

そこで浪人生になって大学に行こうと思っていたが俺の母は俺の性格を見抜き、浪人しても勉強しないで遊びまくると分かっていたので、海外に俺を飛ばすと言ってきた。
遊んでても何かしら身に付けさせようと、英語をしゃべる環境に置こうと考えたんだろう。

最初は行きたくなかった。理由は簡単。日本のマンガや番組などのエンターテイメントが見れなくなってしまうからだ(笑)。また友達とも離れたくなかった。
でも俺がどういう馬鹿げた人生観をもっていたかは分かるだろう。

結局、いろいろ語学学校を探した末に、イギリスの超田舎にあるほとんど日本人のいない学校に行くこととなった。日本人がいたら絶対日本語を話すだろうと俺の母は考えていたからだ。しかもイギリスに大金は叩いて送り出すからには、英語を身に付けるということは絶対条件だったからだ。

18歳の春、俺はイギリスに初めて渡り、田舎町にたどり着き、その語学学校の正門を入っていった。

そこにあったサインには Theological College & Language School(聖書学校および語学学校)と書いてあった。英語のできなかった俺にはどういう意味か分からず、ましてやそれがクリスチャンの学校だとは知るはずもなかった。

To be Continued... つづく・・・

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2008年10月14日 (火)

Passion

Passion Conferenceが昨日あったね。みんな凄く盛り上がっていたし、まさしくPassion情熱って感じだ。パッションの目的は冷め切っているクリスチャン達(主に大学生と若者)に再び情熱を呼び起こし、勇気付けてもっと外の世界へ伝道していこうというもの。この働きもルイ・ギグリオの情熱からはじまった。

情熱はすべての成功への始まり。多くの成功者がそう語っている。情熱なくしては良いアイデアもビジョンもなにも現実にはならないし、何も始まらない。 情熱は単なる感情的なものだと思っているかもしれない。でもそれは違う。
情熱とは絶対なる決心であり、困難なときや壁にぶち当たった時に、真の情熱があるかどうかが試されると思う。

そしてその情熱は外からもらうことはできない。内側から起こさなければいけない。もらいものの情熱はいずれ消えてしまう。

ジーザスは人々の罪を背負い、世界中の人々を神の元へと導き救うことに情熱を持っていた。
バウロは自分と同じ志を持ったものたちを育て、教会を築いていくことへの情熱。
ヨハネは神様の恵みと本当の愛を知ってもらおうと情熱を燃やした。
マーティンルターは聖書をすべての人へと。
マーティンルーサーキングJrは平和と平等のため命を燃やした。
マザーテレザは貧困に心を打たれ、貧しい者たちへ。
ビリーグラハムは福音の本当の理解と世界伝道のために。

多くのでかいことをしてきた人達に共通することは、みんな必ずはっきりとした情熱を持っていたこと。

ビジョンと情熱は絶対に切り離せないね。

ロッド先生もアジアの国々への思いから、日本への情熱へと。
おれ自身も日本から、そして自分から逃げていたのに、神様によって日本と日本人の男たちを変えていく情熱を呼び覚ましてもらった。

みんなの情熱は具体的に何かな? 自分に問いただして見て。そしてそこからビジョンを見つけてほしい。それが自己中心的なものでなければそれは神様からのものだと断言できる。そしてそれを実行するからには、言い訳や疑いは捨てよう。
間違ってもいい。転んでもいい。一番大切なのは信じて全力を尽くすこと。
俺たちの神様は一生懸命人のため神の為にしたことを怒るような父親ではない。
むしろ間違ったとしてもやさしく正してくれるだろう。

“神様に認められるようベストを尽くせ!”
2テモテ2:15A(NIV直訳)

ジーザスライフハウスは熱いぜ!

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2008年10月 9日 (木)

家族

最近、世の中いろいろ起こってるね。今の経済状態は歴史の中でもかなりの大出来事。将来, 学校の教科書や大学試験に出てきそうだね。

また最近のニュースでよく耳のするのが、親子の間での事件。母親が子供を殺してしまうという事件がここ六年間で30件以上もある。そのほとんどが夫に対する怒りや子育てでのストレスの発散が殺人という形で現れてしまっている。今の日本でお母さん方は一人で教育と子育てをしてしまっているも同然だといわれている。俺の妻パティはお母さん方を助け伝道するために色々なイベントや奉仕をしているが、それを見ていると日本のお母さん方は本当に苦しい状況にいると思う。

でもなぜこんなにも日本社会での家庭環境や子育てが大問題になっているのだろうか?

その答えは“夫の不在”である。また子供たちから見れば“父親の不在”。

“不在”といっても、夫・父親が家にいないとか、母子家庭ということだけではない。
ここで言っている“不在”は彼らの存在や助けがないということ。

例えば、ほとんどの日本人の夫は子供たちと遊ぶことはするが、子供をしつけ、叱るということはしない。
結果的には母親は子供を叱る悪役となり、父親は単なる週末のいいお父さんになってしまう。

子供が赤ちゃんの時でも、オムツを変えたり、夜鳴きしているときに妻の変わりに起きたりはせず、すべて妻に任せているケースが多い。

また夫は自分の高校や大学時代のクラスメイト、また職場以外の人間とは交流を持たず、妻の友達すら知らない。妻の子育ての大変さも理解せず、関与しない。

ようは家にいてもいない存在。その上、家にいれば威張り腐っている夫もいる。さらに足臭い、口臭いである。

ここまでくると妻は夫を憎しみ始める。今では夫への嫌がらせが増えていると雑誌でも取り上げられている。夫のお弁当に唾や生ごみを混ぜたり、夫の洗濯物すら、自分や子供の洗濯物と分けて洗っている妻達もいる。

ほとんどの夫は、仕事以外家庭での責任を放棄し、自分勝手なだけ。
さらに90%の既結婚の日本人男性は、自分の性的欲望を結婚生活以外で満たしているという現実まである。ようはほとんどの結婚している日本人男性が不倫し、ポルノや売春で満たしているということ。

すべてはしっかりとした父親が欠けていることにより家庭問題が起こっているように思える。その悪影響は世代から世代へどんどん悪化しているのが現実。

俺の思いはただ一つ。“この世代の男たちだけは変えて行きたい”
-人生に目的とビジョンを持った男
-他の人とやさしさや思いやりを持ち、しっかりコミュニケーションが取れる男
-自分の妻をただ唯一愛し、その愛を言葉と行動で表現し、守っていける男
-家庭を守り、子供をしつけられる男

多くの男性がこんな男になれたら凄いと思う。

今の世の中を変えるには、俺たち男が変わっていかなければいけないと思う。
そうすれば女性たちの思いや嫌な態度が自然と変わり、結婚生活もかわり、そうすれば家庭もかわる。子供たちは自分の親がお互い愛する姿を見て、健康に育つ。子供が健康に育てば、学校の教育が変わる。家庭と教育が変われば、社会が変わっていく。

日本人男性。責任を持って欲しい。次の世代の為に。日本の為に。

そしてその自分を変えるには、良い父親の存在を見つけること。
俺の親父は、両親が離婚しているので、あまり良い存在とはいえない。
でも俺が見つけたのはすべての人にとっての最高の父、神さま。
どんな宗教にも、この父なる神様という概念は聖書以外にない。
俺たちが真の父親であり、創造主である神様を知ることで、すべてが変わっていく。
どのように真の男になったらいいのか、アイデンティティーを持ったらいいのか。
すべてはここからしか始まらない。

だからみんなにも見つけて欲しい。神様を。ジーザスを。

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2008年3月27日 (木)

“自分”を見つける

まずはコメントをくださっているみんなに感謝! ありがとうねー

今回は少しディープな内容かな?

今日ふと思った事なんだけど、“自分”という存在を必死になって探していた時期があったなーと考えていました。

多くのこの世界の人達は“自分は誰であるか”とういう答えを探していると思う。ある人は自分を憎み、嫌いながら。ある人は自分を存在に混乱しながら。またある人は異常なまでのプライドを自分に対して持ちながら、それぞれ探していると思う。

中には他の人の自分に対する評価や意見から自分自身を作り、そこに存在感を置く人もいる。中には恋している自分、恋人の中にある自分。ある人は有名になることで自分を示そうとがんばる。ある人は自分を嫌い、自分を否定し、命を投げ出す人。あるひとはただ自分をそのまま受け入れて欲しいと思いながら、愛を探す。

自分探しにはきりが無い。

でも今の俺は自分を探さなくなっている。っていうか自分を知っている。また知っていて自分が何をすべきか。もう探さなくていいんだと。ふと思った。

どうやって見つけたの? みんな知りたいと思う。

それは簡単。自分を創ってくれた人(神)を見つければいいんだ。ある意味それ以外では“本当の自分”を見つけることは無理。自分の欠片は見つけられるかもしれない。でも完全な自分と自分の使命は、神なしでは見つけられない。

神さまは人間に“自分”いう大きな穴を開けて、それを見つけ、創造した神様を探すようにしたんだ。それが埋まらなければ一生、使命を果たせない。

聖書にはこういう言葉がある。

伝道者の書12:1 “あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。”

自分を見つけた後は? そう思っている人もいるかもしれない。

自分を見つけた後は、他の人を探してあげなくちゃ。ほかのみんなが神様であるジーザスを見つけ、自分自身と自分の使命を見つけられるようにする。

この生き方はマジ楽しい。そして生き甲斐がある。

ここには自分を知っている人達がたくさんいます。

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2008年3月11日 (火)

表現力

この間、うちの4才の娘の保護者会に行ってきた。そこでどこかの学校の校長先生が今の子供たちに何が欠けているかを話していたんだけど、その内容について結構考えさせられた。皆さんは、その欠けているものは何だと思います?

そう、今の子供たちは自分を表現し、コミュニケーションすることができないらしい。なかには凄く表現力に優れている子供たちもいるが、でも極少数である。ある子供が保険室に入ってきたらしいが、ノックもなしに入ってきて、何が欲しいかも言わない。そこで先生が“どうしたの?”、“どこか痛いの?”と聞いても返事なし。結局、“足が痛いの?”と指摘して初めて、“うん”と答える。

なぜこうなってしまったのか? その校長先生が言うには、今の子供たちはすべて他人に面倒見てもらっているために、自分から何か進んで言うことや、行動にすることができないらしい。

これは子供たちだけではない。今の日本の社会には、極端にシャイな人、会話もままならず、目を見て離せない人、あげくの果てに社会そのもを怖がってしまい“引きこもりという”社会問題がある。しかもその大半が男性らしい。

それを思ったとき、どうにかしなければと情熱が再び沸いてきた。日本人の男性に真の男になって欲しいと。自分をしっかり表現し、自身を持ち、人間関係を築いていける男性になって欲しい。そのためにはまず自分を知ること。自分を知るためには自分を創った神を知ること。

ジーザスライフハウスに来ている若者の中には昔、そのように極端にシャイだった もいれば、元引きこもりもいる。でも彼らはこの教会でジーザスを知り、自分を見つけ、自身を付けて変わっていった。そして自分を自分なりに表現している。

クリスチャンとは自分のなかにいるジーザスを人生を通して表現している人達なんだよね。だからみんなにも神様を知ってほしい。そして本当の自分を表現し, コミュニケーションを持って欲しい。表現力は人生のすべてに影響すると思う:仕事、人間関係、結婚生活でね。

ジーザスライスハウスは君という存在を待っています。そしてここでまず自分を表現してみてね。

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2006年4月15日 (土)

68歳のおばーちゃん

一昨日の話になるが、オフィスから家に帰る途中の不動産屋に張ってある物件情報を見ていたところ、ひょんな事から68歳のお婆ちゃんと会話か始まった。最初は物件の話をしていたが、なんでアパートを借りようとしているのかを聞いたところ彼女の成功の伝説を語り始めた!

彼女は昔公務員として働いていたが、その職場では唯一PCを使いこなせる人であり、その後引退してもインターネットを使い様々なビジネスをやってきた。ここ数年では、株証券の架空シュミレーションプログラムを使い、500万から2億円の利益を出すような結果を出し何度も賞をとっていたところ証券会社からスカウトが来て、今ではフリーランサー的なビジネスをやっている。そこで小さなオフィスを借り、PC三台置いてアシスタントを雇い、仕事をするといっていた!!

なんという“おばーちゃん”だ!彼女のビジョンは今持っている知識と能力を可能性のある若者に受け継ぎたいそうだ。彼女の今の若者へのアドバイスは、“電車の中で寝ているだけでなく社会の状況を知って自分を成功に導け!”だそうだ。

んー。そこで俺の職業は何かと聞かれたので牧師と言ったところ、彼女の教会の知識も深い!!なんて人だ・・・。素敵なお婆ちゃんだった。そこでオレはそのおばーちゃんにもジーザスを知ってほしかったので教会のカードを渡し、“来てください”と言ってお別れした。

若者よ!負けてはおれんぞ!人生無駄にするな!このお婆ちゃんのように常に前進して生きろ!でもジーザスを知っていれば必ず真の成功につながる!68歳になっても愚痴を言うだけではなく、次の世代のことを考えられる人間になろう!このお婆ちゃんのように!!

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2006年3月26日 (日)

ブルースリーの生き方

ブルースは、俺の少年時代のヒーロー!!
やつの生き方は少年時代のオレにとってかなりカッコよかった。なぜカッコよかったか?
やつは自分の夢と目的を達成するために全力で走り、それを達成して“伝説”となって死んでいったから。
普通の人は、人生を“歩いて”生きるのを、ブルースは自分の人生を“100メートル走を走る”感じで生き、30歳で死んでいった。
彼には情熱と信念があり、どんな困難にも絶対にあきらめないという姿勢で常に生き、それと同時にスピリチュアルで神聖な何かをいつも追い求めていた。 ちょっと悲しい切ない人生だけど、オレにはそれがカッコよかった。
でもクリスチャンになった今でもそのカッコよさは手に入れたい!なぜならジーザスも同じでそれ以上のカッコよさを持っているから。ジーザスも神様からの使命と目的を受け、ただそのためだけに生きた。
絶対にあきらめることはせず、33という短い人生だったにも関わらず、多くの人間にとてつもない影響を与え、ジーザスの名は2000年以上も世界中で語り継がれ、信じられている。彼は本当の“伝説”であり、また永遠のヒーロー。Jesus saves!!!
オレもそんな風に生きたい。若くして死ぬという意味ではなくて、自分の人生を終えたときに “達成した!!(I have done it!!)”ということができるように!
みんなの使命と生きる目的は

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2006年3月23日 (木)

コンシスタンシー

3月17日
コンシスタンシー
あーあ、また一ヶ月経ってしまった。定期的に物事を続けるのは難しいね。このコンシスタンシーConsistancyという言葉は上がり下がりなく常に一定に何かを続けること。俺たちの人生にとってかなり重要なことなんだよね。今のこの世の社会ではほとんどの人がこれを出来なくなってしまっている。なぜなら皆が感情に任せて生きているから。
やる気&やる気がない、好き&嫌い、気分&気分じゃないで俺たちはほとんどの物事を決めている。さらに俺たちはこの事を人間関係、結婚生活まで持ち込んでしまってる。その人を愛してると言っていても、感情が薄れてしまったからその人から離れていってしまったり、気分じゃないからといって人に対して悪い態度をとってしまう。そんな生き方をしていると夢や目的を持っていてもそれに到達できず消えてしまう。
神様と生きると言うことは、信仰によって生きること。信仰によって生きることは、感情や状況に流されず、信じているものを確信し行動を起こしていくこと。この世は感情によって動いてるがホントに神様と生きてるやつはマジで強い、そして本当の成功を手にするだろう。それは結婚生活でも人間関係でも、仕事でも・・・。だから神様との歩みと時間だけはオレは絶対に毎日守る。
だからみんな、気分や感情ではなく、信仰とビジョンによって生きよう~!
コンシスタンシーだね。

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