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2015年3月 3日 (火)

福音という教会の土台

前回に引き続き教会開拓の為にかなり神様に自分自身が修正させられた価値観の一つ。

日々、神様はどんな教会をこの東京で日本で建てようとしているのかを考える中、いつもこの聖書の言葉が頭に響く。

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイの福音書16:18)

これはイエスがはっきりと示した教会の土台となる宣言だ。

そしてこの岩とは?

その定義はそのイエスの言葉の前にペテロが宣言した、

「あなたはキリスト、生ける神の子です」(16節)にある。

別の言い方をするとこうだ。
「イエスが俺たちの救世主であり、もう既に十字架で罪を解決してくれたという事実、そしてその死から復活し今も生きている神、そして常に信じる者たちと一緒にいて関係を持てる真の神」という事実の上に教会を建てるということだ。

もっと簡単に言うと、「福音(イエスの良い知らせ)」そのものが土台だ。

要は教会は、「俺たちが今これから将来(ビジョン)に向けて神様の為に成し遂げる事の上に建てられるのではなく、イエスが既に為に成し遂げた事(福音)の上に教会が建てられなければならないという事だ。

この違いはとてつもなく大きい。

もし教会が「俺たちの何かを成し遂げようする努力」に掛かっている場合すべての基準や価値観が聖書からずれてしまう。例えば前者の場合、すべて自分たちの成果や達成が基準なので自然と教会のメッセージも「この原則に従って自分で努力し成功しろ」や「“こうしてあれをやっていれさえすれば”神様に祝福される」になる。そして結果的にそれを「できる人」と「できない人」に区別される。

逆に後者は福音という既にイエスによって成し遂げられたことが基準の場合、すべて教会の基準はただ恵みによってなので、まずみんな平等に価値ある者とされる。そして強い人は自然に弱い人を助けることができ、「できる人」は「できない人」を見下すのではなくサポートしようとする。この違いは当時のイエスと宗教家たちとの違いでも同じように表れていることが分かると思う。

別の言い方をすると「宗教(自分の努力で神に近づく) vs 福音(恵みと愛により神が人になり救ってくれた)」だ。

下の例のように、新約聖書での例だけを挙げてもその違いはこうなる。

会社・組織(ルールと制御) vs キリストの体(オーガニズム・生命体)

機械的・システム的に起こされた成長
vs 神の「真実と愛」による自然で着実な成長

排他的(スタイルやビジョン・価値観が合わないと除外)
vs 包括的(皆自分も罪人だったという自覚があるので、まず受け入れ赦し合う、本当の意味で謙遜)

偽の一致(同じユニフォーム“ただ同じ考え”を着るだけの一致 Uniformity)
vs 本当の一致 (個々に違いがあるが、それでも福音により一致 Unity)

結果と能力主義 
vs 関係的

トップダウンリーダーシップ vs 仕えるリーダーシップ

「イエスマン」シップ vs チームワーク

できる人・できない人のランク分け vs 一人ひとりユニーク(創造性と多様性に富む)

ビジョンや自己啓発でやる気を起こさせるメッセージ vs イエスの福音の力を通して解決を与えるメッセージ

優越感を得るために裁き・罪に定めようとする vs 自分が恵みを受けているので赦し回復と癒しをもたらそうとする

違った意見を否定 vs 違った意見を重宝し成長の糧とする

特定の教会ライフとルールが中心 vs 福音を基準とした神様の国が人生が中心

マニュアル基準の弟子訓練(自分で考えられない) vs 実践と模範基準の弟子訓練(自立していける弟子)

束縛的(組織だけで通用する世界) vs 開放的(世界に出ていき活躍を支援)

情報操作と嘘 vs 批判されても自分の名誉さえ神様にゆだねる

恐れ・脅しでコントロール vs 福音から来る感謝と喜びで自発的な行動とサービス

躓いて失敗したら除外 vs 「あなたが立ち直ったときには,兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカ22:32)」

もっと書こうと思えば永遠と比較はできるが、福音を中心としたイエスの教会のイメージと単なる宗教の違いは見えただろうか?
皆はどのような教会に関わっている?そしてどのような教会をこの日本で広めたい?

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイの福音書16:18)

教会は牧師や組織のリーダーのものではなく、常にイエスのものであることを忘れないようしなくてはならない。

本当の福音に立ち返ろう。

ではまた。

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コメント

この教会に来て思ったことは、 やっぱり、 人間関係とか
  日本人的だなって思いました。 日本人は同調しやすく、
  それが、 今は企業に入っても問題になっているらしく、
  今は教育業界でも、 すこし話題になっていて、
  中学校、高校、 大学受験でも、 デイスカッションを
  取り入れてるようです。 論理的思考も落ちているらしいです。
  (数学の問題などでも)。 

  日本にいる限り仕方がないのかもしれないですけど。
  最近では、 東京の社会も外国人労働者も増えて、
  ハーフの子も増えてきていて、 そして、 同性婚も
  認められつつあります。

  今、 世界にある宗教対立がありますが、 (これからの
  東京も) どんな風に違った考え、 価値観の人たちと
  共存をしていくか(これは、 世界的にも大きなテーマ)
  を生み出してゆかなければいけないのではないかと
  最近は考えてます。

  しかし、 人間は悲しい生き物で、 宗教が引き金で
  殺し合いまでしてしまいます。 

  私たちの世界(社会)は、 誰のことも裁けないような、
  持ちつ持たれつの、連鎖する社会なのだと思います。
  (話が大きくなってきてしまった。。笑)

投稿: | 2015年3月 4日 (水) 14時16分

コメントありがとうございます!
そうですね。おっしゃる通り、今の社会の価値観がとてつもない速さで変わりつつあります。その考えは古いだとか、今の社会に合わないだとか。日本的でないだとか国際的でないだとか。だからこそ、何千年も変わって来なかった聖書そしてイエスの福音という基本にクリスチャンとして戻らないければいけない時代です。世の中が許しているからと言って、その度に価値観を変えてしまうと、「真理」そのものを見失ってしまいます。聖書的な結婚の概念などもそうですが変えてはいけないものは変えはならないことです。日本人的だとかという教会ではなく、聖書的・福音的な教会を目指したいと思います。
自分も罪人でありただ神の恵みにより救われたという真理に立ち返る時、裁く思いの代わりに赦すと同時に、間違っているものは間違っていると言えるブレない自信をイエスのように持てます。宗教家に対してそうだったように。
まだまだ教会として始まったばかりなので是非祈っていて下さればうれしいです。

投稿: Ryuta | 2015年3月 4日 (水) 15時03分

Ryuta 先生

 陰ながら祈っています。 私は、 2011年の東北の大震災が
 起こったとき、 すごくショックでした。 多くの日本人はそうで
 しょうが。 ですが、 3月11日が起こる前、 私は、
 日本の社会は、 まるで馬車馬のように働かなければ、 そこから
 はみ出した労働者は、 つまはじきにされる、 除外されるような
 社会だなと感じました。 そして、 年配の人間も(今では高齢者と
 呼ばれる方々も)ずいぶん、 若い人へのジャッジが激しく、
 まるで、社会で通用する人間とそうでない人間をジャッジしている
 かのような印象を受けました。

  ところが、 いまは、 女性の労働者も、 外国人労働者も
 本当に必要とされています。 (妊婦の方も時々働いています)
 そして、 高齢者を支える人口がないと問題になっています。

  世の中って、やっぱり、 誰のことも裁けないのだなと
  改めて認識せざるを得ないと思います。 

  そして、 今は災害もあるから、 本当にお互い、 受け入れあって、 助け合わなければ、 生きてゆけない状況なのかもしれません。


  教会の話からは、 多少、 ずれてしまいましたが、
  やっぱり、 神様が私たちに伝えようとしていることは、
  愛なのだといつも感じています。 

投稿: | 2015年3月 4日 (水) 21時08分

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