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2014年3月 7日 (金)

レアの愛を求める戦い

前回はヤコブの視点から彼の「幸せの追及」の人生を見たが、今回はレアの視点から見てみたい。そう、ラケルではなくレアだ。

聖書箇所などは前回のブログを参考にしてほしい。

レアの人生は良く見てみると、ほとんどヤコブと似た人生だった。

状況は違うが、違った形で幸せを求めている。

彼女は長女であるにも関わらず、ラケル(美人でスタイルが良 い存在)の陰に常に生きてきた。ラケルはみんなの人気者、モテるし愛される存在。

でもレアは聖書にある通り、「目が弱い」と言う存在。この意味はおそらく、美人でなかったどころか最悪の場合、身体的に「目が偏っていた」とも理解できる。

家にばっかりいた「男らしくないヤコブ」そして父のお気に入りではなかったヤコブと同じく、レアは美人ではなく、そして人気者ではない存在だ。そしてヤコブが弟だったという事と対照的にレアは姉だった。

レアは父ラバンがヤコブを騙さなければ結婚できないような存在だった。だからラバン もそのようなやり方でレア嫁がせた。これもヤコブが母親の助言を受けて兄と父親を騙したように、レアもまた父ラバンの計画に従い、ヤコブを騙して結婚した。もちろんそんな形で本当の幸せは得ることはできなかった。

でももっと最悪なのは、今までの宿敵?であるラケルと「同じ夫」との結婚だった。結婚してもなお妹の陰で生きなければならないレア。そしてヤコブはレアではなくラケルを愛しているのも明確だった。レアはいつも愛に飢え、そして結婚生活内でも常にヤコブから愛を受け取ろうと必死になる。

ある意味とてつもなく切なく、かわいそうで絶望的だ。レアはそれでも、子供を産むことでヤコブに認められ愛してもらえるという事で努力を重ねた。そして神様もレアの胎をラケルよりも先に開き息子たちを授かっていく。

レアは三番目の子供まで、「夫ヤコブへの思いを込めて」命名した。

最初の子供の意味は、ルベン 「彼はやっと愛してくれる」。

二番目はシメオン「彼はやっと私の苦しみを聞いてくれる」。

三番目はレビ「彼はやっと私に加わってくれる(繋がってくれる)。

または私を「見てく れる」の意味。

またまた切ないが、これはレアがどれほどヤコブをある意味「救世主」として見ていたか分かるだろう。ヤコブの愛さえ得れば「幸せになれる」、良い母親になれるという思いだった。でもそれは叶わないことだった。

このレアの人生を見て行くと、多くの現代の女性たちも似ているかもしれない。雑誌を見るたびに、テレビをつけるたびに「自分より美人な女性たち」を見て比べてしまう。いつも「その陰」に生きているようで、いつかあのように美人になれればと思い日々を暮らす。そしていつかは幸せな結婚、そして愛してくれる存在を求め生きている世の中の女性たちは多いと思う。

これもまた何千年も前の社会と現代も何も変わらない。「人は永遠の愛を求める」と聖書が言っているそのままの現状だ。ヤコブもレアも違う形だが、同じ愛と幸せを求めている。ヤコブは成功と美しい結婚パートナーを通して、レアは結婚と家族、そして子供を産み「良い妻」となることで報われると思ってきた。

現代の多くの女性もそうかもしれない。結婚していても夫からの愛がなく、子供に希望を置く。「せめて良い母親として子供を素晴らしい大人に育てることが出来れば・・・。」と思う。でも結局は本当に子供のためではなく、実は自分の「心の穴」を満たすためになってしまう。そのため本当に子供を愛することができず、異常に過保護になってしまったり、夫よりも子を優先してしまう。そして子を叱ることを恐れてしまう。「嫌われるのではないか」と思い、勉強や習い事を過剰にさせ子供にすべての人生をかけてしまう。でも子供にとってもそれは重過ぎる人生だ。これもまた虚しい。

でもレアの人生にはある転機がやってくる。本当に興味深いのは、4番目の息子ユダの意味だ。今回は一切夫への思いが現れていない。

ユダのその意味は、「神を賛美する」。

そう、今まではヤコブが対象だった。彼への思いを今までの子供の名前にもぶつた。でもようやくレアはヤコブと同じく最終的に一番大切なことを悟った。「神様以外に私を満たし本当の自信と幸せを与えることはできない」ということだ。夫も子供たちもそして家族ですら・・・。神様だけが真実と永遠の愛を与える。だから神への信仰と思いを感謝しユダと名付た。しかもここでレアが使う「神」と言う言葉は非常に興味深い。この当時一般的にはどの人種も国も神と言う存在に対して使っていた「神」と言う言葉があった。でもイスラエルの神には、アブラハムやヤコブなど個人的に本当の神様歩んできた神様への呼び方があったのだ。その呼び方は「ヤハウェイ」だった。レアは普通知るはずもなかったこの呼び方を使ったのだ。レアは彼女の先祖から聞いていたのかもしれない。本当の神は、「個人的に一緒に歩んでくれる愛に満ち溢れた神」ということを・・・。

 もっと面白いことに、実はユダの子孫から救世主のイエスが誕生する。ラケルの子孫じゃないんだ。結果的にレアが救世主の母親になり、そしてヤコブにとっても、彼の先祖にとっても、歴史的にも、重要な妻となったのだ。俺が思うに一番ヤコブを理解できるソウルメイトだったかもしれない。同じ境遇を生き、そして同じ苦しみを生き、ヤコブの本当の理解者だったかもしれない。

美人ではなく、愛されない、そして希望がない女性。でも神様の目と計画にあっては救世主を生む母親。ここが聖書が描く本当の神様のスゴイところだ。新約聖書でもあるように弱い者、 愚かな者、世の中の基準から外れた人々を受け入れ、そして彼らを通し素晴らしいことをする神。このストーリーには本当の神様の恵みと愛が溢れている。そしてこれは俺たちが絶望的な状況と思われるときでも、真実の神様だけが心の奥底と魂を満たしてくれる存在だと悟り、そして頼る時に、歴史を変えるようなことを俺たちの人生にしてくれるという証拠だ。

 最後に言いたいことは、本当のレアはイエスということだ。自ら「愛されない存在」になり十字架に架かった神。そうすることにより、俺たちが代わりにラケル(美しい存在、愛される存在)になれる。でもイエスがその報いとして受け取ったのは、救世主という称号と、そこから生まれる俺たちという子孫たち。そう、レアの様に・・・。もうレアやヤコブの様に愛と幸せに飢えなくて良いように、俺たちの代わりに苦しみ、飢え、蔑まれ、そして神と葛藤しながら俺たちに本当の愛と幸せをもたらしてくれるイエス。これが聖書が示す、福音だ。それは「ただ良い人間になれ。もっと道徳心を持て」という教えだけの、単なる宗教を超えている。福音は宗教ではなく、「良い知らせ」それを受け入れると共に、自然に俺たちの心に感謝と希望が満ち溢れ、そして神に変えられていく。俺たちが神に近づいたのではなく、神が俺たちのところに来てくれたのだから。

牧師としてこの本当の福音を皆に分かって、受け取って欲しいと思う。

ではまた。

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