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2013年4月 6日 (土)

クリスチャンとして安定してしまうことの危険性

世の中では人間皆「安定」を求めて生きている。

金銭的な収入の安定、仕事の安定、人間関係(結婚によるなど)の安定。
それらの要素が安定することにより、心配やストレスがなくなると多くの人々が思っているからだ。個人的にはこの考え方はとても「世の中」的だと思う。

その「安定」の考え方はたまにクリスチャンの世界にも密かに浸透してしまっている。
例えば、教会の牧師や一般的に言われる「フルタイム」の奉仕に就くとき。
組織、団体、教会に「雇われる」ことにより、システムの中で定期的に給料が支払われ、ある意味の「安定」が得られる。特にクリスチャンの人々が運営する仕事環境により、よほどのことが無い限り理不尽に辞めさせられるようなことはないと勝手に思い「変な安心感」も良くある。

そのような「安定」は、決して悪いことではないが、もし俺たちがその安定に自分の信頼と信仰を置いてしまう時にある危険性がやってくる。

その危険とは、そこに「落ち着いてしまう」ことだ。

イギリスや日本で牧会する中で、ある時変な考え方がクリスチャンにあるのを気づいた。
それは、牧師や「フルタイム」として教会で働くことが、「プランB」となってしまっていることだ。
神学校で勉強していた時も、ほとんどの生徒が人生で次にやる事がまだ分からないから、とりあえず神学校や宣教団体に入ってきているクリスチャンが沢山いた。
また世の中であまり上手くいかなかったからという理由も見えた。

要は、成功できなかったから行き着く、またはとりあえず行く、「プランB 」だったのだ。

その現状を見たとき、ある意味怒りが込み上げてきた。
なぜなら、牧師や宣教師のゴールは、そんなものではなく、人生のすべてをかけてする事であり神が与えてくれた「人を救い、良い知らせを伝える」この地上での生きるミッションであり、名誉あるタスクだからだ。

牧師や宣教師、フルタイムでなくともすべてのクリスチャンにとって、このミッションは重視することであり、どんな職業をしていても全てのクリスチャンが持つべきフォーカスだ。

だけどなぜか、牧師やフルタイムに就くことが、ただの「安定」が提供される場所になってしまっているようにも思える。

新約聖書の十二弟子たちやパウロの生き方を見ていても、そのような「安定」はなかった。常に神に動かされ、リスクを負い、必要があれば新しい地域に進展し、危険を通り生きていった。世の中が強調する、給料の安定や金銭の安定などなかった。その中でも神に信頼し、信仰を強め、何が何でも諦めずに、神と一緒に新しい道を切り開いていった。

俺たちはこのような「心構え」を忘れてしまう危険があるということだ。

結局、究極的に俺たちの雇い主は、神様だ。仕事や住む町・都市が変わろうとも、それは問題ではない。たとい明日牧師やフルタイムの地位をなくそうとも、目的やビジョンは変わらない。結局それらは通過点、または神の目的を達成するための地位でしかないからだ。
もし牧師・フルタイム奉仕者になることが安定という考えがあるなら、ならない方が良い。
なぜなら本当の意味で神に仕えるということは、その「安定」の逆だからだ。

また「安定」がある場所や方向を選ぶことが必ずしも神の正しい決断ではない。
実際、アブラハムは飢饉が行く目的地であるのを知り、そこに「安定」がないので自分の決断である町に寄り道してしまった。結果、その決断が次の間違いへとつながってしまった。そして何年も神の約束の地に行くのを遅らせてしまった。「安定」を選んだからだ。

神は常に人生の道、次のレベルを切り開くために俺たちをチャレンジしてくる。
「安定」が神の基準ではない。変化、成長、そして神を信頼する信仰が基準だ。
それは神を信頼する生き方、冒険であり旅だ。
俺たちの「安定」は天国にある。
神自身に「安定」を置かなきゃいけない。

今この教会開拓を計画し、思いを巡らせる中で、この「ワクワク感」がすごくうれしい。
神様が何をやろうとしてしているかすごく楽しみだからだ。
もちろん不安もある、障害や周りからの非難や理解されないこともある。
でもそれを避けていたら先へは進めない気がする。

ルカの福音書9:61~62には、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくない。」と書いてある。
これはイエスが人々に、「俺についてこい」と言った時に、言い訳していた人々に言った言葉だ。ようは「やるならトコトンすべてを賭けて全力でやれ」だ。

今、牧師だろうとフルタイムだろうと、また会社員、主婦だろうと、クリスチャンとしてこの思いは絶対なくしてはならない。

それを無くした時点で、マンネリ化し、気力やビジョンを無くしている危険性があることを知ろう。

最近多くの世の中の「変革者」たちの物語を読んだり、テレビで見たりしているがやっぱり共通点は、どん底や超困難な状況にある人生の転機を通る中で、絶対諦めずにいたことだ。
それどころか、彼らはワクワクしているように見えた。

「安定」は忘れて、冒険に行こう!

ではまた。


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コメント

りゅうたさん

本当に僕もそう思います!マジで、良いブログですよね!なんか、僕自身もこのブログを読んで、チャレンジをされました!やっぱり、そうですよね!安定では無く、神様のチャレンジを受けてまえに進む時に本当にいきいきと生きれますよね! ブログ有難うございます! 次回も楽しみにしています! 開拓の準備に神様の恵みが更に注がれるように祈っています!

投稿: あき | 2013年4月 7日 (日) 00時05分

あきさん。コメントありがとう。引き続きブログ頑張ります。

投稿: Ryuta | 2013年4月 9日 (火) 15時48分

はじめまして、ブログ楽しく読ませて頂きました。
ほんとそう思います、先に進まないと何もありませんよね^^

投稿: 坪江 | 2013年4月17日 (水) 09時24分

こういう牧師さんが増えてくれれば日本の教会は変わると感じました!応援してます!

投稿: しゅん | 2013年4月23日 (火) 16時49分

坪江さん、しゅんさん。
コメントありがとうございます。
頑張ります!

投稿: Ryuta | 2013年4月23日 (火) 23時01分

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