“自分”を見つける
まずはコメントをくださっているみんなに感謝! ありがとうねー
今回は少しディープな内容かな?
今日ふと思った事なんだけど、“自分”という存在を必死になって探していた時期があったなーと考えていました。
多くのこの世界の人達は“自分は誰であるか”とういう答えを探していると思う。ある人は自分を憎み、嫌いながら。ある人は自分を存在に混乱しながら。またある人は異常なまでのプライドを自分に対して持ちながら、それぞれ探していると思う。
中には他の人の自分に対する評価や意見から自分自身を作り、そこに存在感を置く人もいる。中には恋している自分、恋人の中にある自分。ある人は有名になることで自分を示そうとがんばる。ある人は自分を嫌い、自分を否定し、命を投げ出す人。あるひとはただ自分をそのまま受け入れて欲しいと思いながら、愛を探す。
自分探しにはきりが無い。
でも今の俺は自分を探さなくなっている。っていうか自分を知っている。また知っていて自分が何をすべきか。もう探さなくていいんだと。ふと思った。
どうやって見つけたの? みんな知りたいと思う。
それは簡単。自分を創ってくれた人(神)を見つければいいんだ。ある意味それ以外では“本当の自分”を見つけることは無理。自分の欠片は見つけられるかもしれない。でも完全な自分と自分の使命は、神なしでは見つけられない。
神さまは人間に“自分”いう大きな穴を開けて、それを見つけ、創造した神様を探すようにしたんだ。それが埋まらなければ一生、使命を果たせない。
聖書にはこういう言葉がある。
伝道者の書12:1 “あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。”
自分を見つけた後は? そう思っている人もいるかもしれない。
自分を見つけた後は、他の人を探してあげなくちゃ。ほかのみんなが神様であるジーザスを見つけ、自分自身と自分の使命を見つけられるようにする。
この生き方はマジ楽しい。そして生き甲斐がある。
ここには自分を知っている人達がたくさんいます。











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