2009年4月17日 (金)

神様の足跡

おっす。またまたかなり久しぶり。
定期的に何かをすることはやっぱり努力とコミットメントが必要だね。
ブログに対する俺のコミットはあまりないってことかな~(笑)

最近はイースターだったね。
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うちの教会でも色々なプロダクションやったんだけど。すごかったね。
80以上の新しい人達が礼拝には参加していたし、今の場所での礼拝出席者数も過去最高の900人近く!水曜日の礼拝も入れたら1000人近く!

JLHの勢いは止まらない! 
まだまだ最高のときはやってくる!

今回イースターのメッセージを作りながら改めて思ったことは、キリスト教は西洋の宗教ではないということ。
キリスト教の歴史的にも、起源を見てもそれは明らかだけど、決してヨーロッパやアメリカだけのものではない。日本人は特にそう思っている人が多いけどね。

どっちかというとアジアの国々への影響のほうが強い感じがする。
それは俺たちが日常使う漢字にもあると思う。

例えば漢字の“義”というやつ、なんで我(自分)の上に羊(聖書では神の子羊イエスの象徴)を乗っけて“義”なの? そのほか“羊”を使う漢字はいっぱいあるし、どの漢字にも聖書のストーリーや概念が入っている。

またまた“魔”という漢字。なんで木が2本ある(命の木と知恵と知識の木)“庭”(エデンの園)に鬼(悪魔)がいて“魔”(EVIL)なの?

またまた“神”というかんじの“しめすへん(示す)”は“犠牲を捧げる”(祠)という漢字が使われて、それと共に“申す”という漢字が合体して“神”なの?ようは犠牲を払いそれを宣言(伝える)神様だということでしょ?

ある専門家は単なる偶然だというけど、明らかにそうじゃないよね。

よく聞くことだけどもフランシスコ・ザビエルのずっと以前にも、キリストの教えは入ってきていたと言う歴史的な証拠もある。

ようは神様の足跡、イエスキリストの証拠は日本の歴史や文化にもちゃんとあったと言う事。

俺は日本人の多くがクリスチャンなる時はもう始まっていると思う。

15世紀に起きたように! 

俺たち日本人にも世界に神様の影響を与える責任がある。

そんな未来をこの人生で見たい。そして俺たちの世代がそのきっかけとなって欲しい。

日本人のみんな、本当の神を知ってくれ~~~~~!Img_0694

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あっ。そうJLHカンファレンス!あと2週間!
絶対来てね!

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2009年2月26日 (木)

ジーザスライフハウスの長所

最近、よく他の教会のリーダーたちから質問されることがある。
それは、“ジーザスライフハウスの成長の鍵となる長所はなんですか?”という質問だ。

その質問に対する応えはメチャ簡単。

“人々です”だ。

ロッド先生のお気に入りの言葉:“教会はただ神様と人々、そして人々と神様だ。”

教会の土台は素晴らしいメッセージ(説教)でもない、ワーシップでもない、ましてや照明、イベントや礼拝の内容でもない。それらは重要な部分ではあるが、それだけでは良い健康な教会は育たないとおもう。

人々が神様に満たされて喜んで信仰に生きている姿ほどパワフルなものはない。

うちの教会には“WELCOME DEPARTMENT”という教会の中核となる部門がある。
そのなかには、カフェを運営するホスピタリティーのチーム、来た人を歓迎するグリーターズチーム、新しい人々に教会の情報等を提供するリソースチーム、人々が教会に根づいてもらうことを支援するフォローアップチームなどが含まれる。
ようは彼らは教会の第一印象を与える、教会の顔である。
だからこの奉仕をする人々は元気な人を意図的に選ぶ。

来てくれた人々は彼らの表情や元気さを見て言う、
“この教会ってフレンドリーな人が多いいね。”って。
牧師の一人である俺にとってはそれがすごく嬉しい。
教会のメンバーがハッピーで元気で生きているのを見て、そして他の人々がそれに気付く。
それは、まさしくジーザスが言ったことだ。

“あなたががお互いに愛し合うことによって、人々はあなた方を私の弟子と分かるだろう”。

ジーザスライフハウスのメンバーは心底喜んでいる。人生が楽しいのだ。教会に来ることも、奉仕することも、嫌々やっている人はいない。教会に来るのが楽しみなのである。神様の身体である教会に仕えることが喜びなんだ。

そして彼らはこう思う、“他の人々にもこの教会の素晴らしさと、神様を知る人生の喜びを知ってほしい”と。そして自然と人々を連れてくる。

その思いが自然と教会を成長させ、前進させると俺は確信している。
だからこそ礼拝でのワーシップが神様の存在を強め、メッセージが活かされて人々の心に届く。

正直、ジーザスライフハウスに来る前はこのように自分の教会を誇りに思い、友達を連れてきたいと思うことは難しかった。連れてきても、教会の人々は喜んでいなかったし、新しい人に話しかけることもしなかった。当たり前のことが宗教的になってできていなかったのだ。この昔の俺と同じ思いをしているクリスチャンは多いだろう。

だからこの世代が変わっていかなければならない。リーダー達が喜びを持ち、人生を希望に満ちて生き、そして喜びを持ったクリスチャン達を育てていかなければならない。

ブライアン・ヒューストンが言った言葉だ。
“Healthy things grow” 健康なものは自然と育つと。

教会が成長しないのが当たり前になってはいけない。成長が当たり前なのだ。
教会を、教会の人々を健康にしていこう。心を育てていこう。

神様と人々、人々と神様の関係だ。

簡単でしょ?

日本を変えていこう!
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2009年2月20日 (金)

お久しぶり!

最近アップ全然していなかったね。ごめんごめん。

今年もよろしく!

この間、日本人牧師達が集まる大会(カンファレンス)に参加した。
毎年やっているこの大会だが、去年も行ったんだよね。
今年はすごく若い牧師やリーダー達が前より来ていてかなり励まされました。
ホント次世代がこの日本と世界を変えていかなければならない。
もっと若い神のリーダーたちが育って欲しいと思う。

またこの大会ではジーザスライフハウスの牧師達がシェアする機会も与えられた。
そこで、俺も含めJLH大阪のルーク、俺たちの主任牧師のロッド先生がシャアしたんだよね。

話したテーマは、次世代教会を成長させる鍵についてだ。
内容はメチャクチャ簡単だ。

まとめて言うと、“この世代で日本を変えられることを信じきること。そしてそのために神様は必要な聖霊を俺たちに注いでくれている。そこから来る喜び、信仰、勇気とビジョンをさらけ出して一人ひとりが生きていくこと”。
またこれはリーダーである牧師達がそうなっていかなくてはいけない。
牧師が暗くなっちゃいけない。リーダーたちがネガティヴで落ち込んでいてはいけない。

ジーザスライフハウスの本当の強さは、神様に言われた単純でシンプルなことを実践していることだと思う。

普通に神様にあって喜んでいる人達が多い。そして常に聖書を読み、やれと言われたことを実行に移す。祈りも特別な人達だけが祈るのはなく、いつでもどこでもみんなが日常で祈る。
単純だ。大それたセミナーや“深い”教えも必要ない。1000ページもあるような神学の本を読んでから神聖なクリスチャンになる必要ない。ただ聖書に基づいて生きている。それがJLHの土台。

宗教とは簡単にする代わりに難しくしてしまう。 信仰を広げみんなに“誰でもできるんだよ”と伝える代わりに、グループや宗派に分けて“入りずらく”してしまう。

あたかも世の中と別離して生きなければ神聖になれないかのように。もちろんクリスチャンは世の中には属さない。でも神であるジーザスが地上で、世の中で生き、光り輝いたように。俺たちも輝かなければいけない。頭でっかちだけの神聖さではなく、神のライフスタイルで。

(ローマ14:17-18) なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 

そこでみんなに質問。
義とは神様との関係がしっかりして、周りの人間関係も健康であること。
友達や家族、上司や同僚を赦してしていますか? 過去に傷つけられた人やまた教会のリーダーを恨んでませんか?

平和とは心の安定。いくら周りの状況が最悪でも神の平和があれば安定できる。
将来を信じて、ビジョンの為に生きる代わりに、今の状況にストレスがたまり心配してませんか?

喜びは、一時的な状況任せの幸せではなく、いつでも持てるもの。そして周りに伝染するもの
だから喜んで毎日生きている? スマイルしてる?
周りの人に対して勇気や励ましを与えている?

これができていればドンドン成長できると思います。
うちのロッド先生はマジで宗教を嫌う人です。ジーザスに対する信仰の複雑さを持ち込もうとしたり、“俺は特別に誰よりも神聖だ”などという態度は絶対に受け付けない。
おれ自身JLHに来てから、“宗教”を脱ぎ捨てることを毎日学んでます。

最後にロッド先生の好きな聖書の箇所で終わろう。
To be mature is to be basic.(Col 1:26-29 The Message)
“成熟するということは基本にもどること”(コロサイ1:26-29 メッセージ訳)

シンプルに成長しよう!

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2008年12月18日 (木)

新しいことと古いこと

久々!
皆さん元気かな?
もうすぐ2008年も終わる・・・!

今日はうちのJLHの色々なスタイルに関しての心構えを話したいと思う。

鍵となる聖書の言葉は,

マタイ 9:17 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

JLHの牧師をやっているとたまに他の教会のクリスチャンから聞かれることがある。

“この教会は日本人の教会ではないですね”というのである。

“え?何でですか?”と聞くと。

“外人も多いし、音楽やスタイルも日本の教会とは違います”という。

“じゃ、日本の教会はどういう教会なのですか?”と聞く。

そうすると、“静かで、かしこまっていて、礼儀正しい雰囲気です”と言うのである。

それを聞くと俺はいつも悲しくなる。

“静かでかしこまっていて伝統的な教会”が当たり前のように、それがあたかも唯一神様に、そして日本人に合うスタイルのように多くのクリスチャンが思っているからだ。

その今の“日本の教会”のスタイルですら数十年前、もしくは数百年前は新しいスタイルだった時代があった。ある時代には、賛美に楽器を使うのでさえタブーとされていた時代もある。

だがいずれピアノが受け入れられ、ギターが受け入れられ、ドラムが受け入れられていった。

そう時代と共に変化していくのである。あるクリスチャンは、スタイル自体に善悪を付ける者もいる、ましてや音楽のスタイルも例外でもない。音楽スタイルそのものには善悪はない。音楽やメロディーに加わる人の心や思い、そして言葉(歌詞)がその音楽の性質を善悪に変える。ナイフを人を殺すのに使うこともできれば、食事に使うこともできる。結局は自分の好き嫌い善悪を付け正当化しているだけだ。

聖書の箇所に戻るが、ワインは聖書では収穫(人が救われ実を出すこと)や神様の祝福を意味する。皮袋は外側の部分ようはコンテナだ。コンテナは中身を保ち守るためのもの。それは教会のスタイルなど外見を意味すると思う。中身のワイン(救われた人々)は外側と共に熟して古くなり成長していく。ワインは熟せばうまいワインになる。ようは成熟していく。

ジーザスが言っている、”新しいワイン(収穫・次世代)を古い皮袋(古い伝統やスタイル)に入れるな”と。別に、古い教会や年を重ねたクリスチャンたちの間に入れるなと言っているのではない。伝統や古い外見(スタイル)を押し付けるなと言っていると思う。

古いワインは良いものだ。ワインセラーに置かれ、どんどん熟しワインがうまくなる。そしてそれはいずれ飲まれる。でも新しいワインと皮袋がなければ、ワインセラーはいずれ尽きてしまう。正直これは今の多くの日本の教会の状況かもしれない。

だからだ。俺たちは新しい世代に新しい皮袋(スタイル)を提供しなければならない。古いやり方を押し付けては、両方ともダメになるとまでジーザスは言う。

別に静かなスタイルが悪いわけではない。でもそれが“日本の教会”とイメージと唯一正しいやり方になっているのは違うだろう。今のうちの教会のやり方(スタイル)も時代と共に変化していく。いや、変化しなくてはならない。神の言葉は永遠に変わらずに。

今の多くの日本の教会が使っている賛美の曲のほとんどが数十年変わっていないということを知っているだろうか?これは世界中の教会でも言えることだ。この現実は、今の多くの教会の状態を表している。どこかでその時代の皮袋に依存してしまっている。その時代のクリスチャン達が先へ進めずに、新しいことに心を開けずに。

10年ー20年後、俺はそんなクリスチャンになりたくない。

俺も完全に若くはない。30歳を越えれば若者にとっては“年を取った人間”である。

でも俺は10年前のやり方や好みを若者には押し付けたくない。                いや、彼らのスタイルを理解しそれを提供し、そして彼らの可能性を信じたい。

新しいワインは、まだ味もよくないし、熟してもいない。でも将来は素晴らしいものになる。そのためには彼らを守り、勇気付けなければならない。まだ荒削りだからと、熟していないからと拒否してはいけない。

最初のことに戻るが、俺はその質問をした人達にいつもこう言う。

“うちの教会の人々を見て見てください”と。

”日本人は何人いますか”という。

“ほとんどが日本人です”という答えが返ってくる。

そう“それが日本人の教会じゃないですか?”と俺は言う。

東京はインターナショナルな最大都市である。そこの教会は外国人がいて、英語を話す場所であってもおかしくはないだろう。なぜなら次世代がそうだからである。

これを読んでいるクリスチャンの人達に本当に言いたい。

先へ進もう。神様が用意した次の次世代へ。そして未来へ!

自分の慣れや好みによって自分を制限せず、“キリスト教(Christianity)についていくのではなく”、ジーザス自信についていこう!

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2008年12月 5日 (金)

クリスチャンになった理由 Part 5

前回からの続き・・・

聖書を開いた俺はどこから読んで良いか分からなかった。
そこでペラペラめくっているときに目に入ったのが、旧約聖書にある“伝道者の書”だ。
忍者の巻物みたいな名前だし、短いからそこから読み始めた。

 "エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう" 伝道者の書 1章から

って、こんな感じで始まる本である。
それを読んだ俺は、はっきり言って落ち込んだ。
なぜなら人生は虚しいと心でも分かっていたからだ。
人はこの世から何も持ち去ることはできない。
裸で生まれ裸で死んでいく。

3週間ぐらい何もやる気がしなかった。
俺がそんな感じでウツになっていると、俺のクリスチャンの友達リチャードに笑われた。
リチャードはこう言った、“お前は伝道者の書の本当のメッセージを分かっていないよ”と。
“じゃ本当のメッセージは何なんだ?”と俺は応えた。
“もう一度読んで見ろ。特に最後のほうを”と言われた。

そして俺はもう一度読んで見た。
そして気付いたことは、“神なしでの人生は虚しい”ということだった。
永遠に続く土台なしでは人生は虚しいと分かった。
お金、物、服、家、人でさえいずれは滅びる。永遠に続くものは神以外にない。
この聖書が言っていることに共感した俺は新約聖書も読み始めた。
なぜならすべて旧約聖書で言っていることは新約聖書を指しているからと教えてもらったからだ。

イエス・キリストのこと、キリスト教会が始まった物語、多くの奇跡。
それらすべてを読んで見た。
なぜキリストが十字架で死ななければならなかったのかが一番分からなかった。
俺たちが罪を犯したということもピンとこなかった。
罪という言葉自体がよくわからなかったのだろう。
でも罪=的をはずした人生(神様なしの自分の為だけの人生)ということが分かった。
そして一番印象を受けたのは、変わるために力が神様から与えられることだ。
人として生まれ変わり、新しく始める人生。
この前も言ったが、他の宗教は基本的に“自分で何とかしろ”だ。
でもキリスト(救世主)が言うのは“変わるためにお前を助けよう。私がお前の力となろう”だ。
最初は弱い人間だけがそうすると思っていた。
でも違った。弱いから神を信じるのではなく、自分の弱さを受け入れられる強さがあるから信じるのだと。
だからジーザスを信じるものは強い。
なぜなら自分の弱さを知り、それを受け入れ、自分を少しずつ変え、本当の自分を知り、長所を生かして生きている人達だからだ。

俺は賭けてみた。本当に変われるのならと思い。ジーザスを信じて見ようと思った。
すべては分からない。でもそこに可能性があるなら賭けて見る価値はあると思った。

ある日、俺は自分のルームメイトに俺がジーザスを信じたことを伝えた。
俺の為に毎晩祈ってくれたイタリア人の友達だ。
そこで返ってきた反応は、“おい、そんな嘘言ってると殴るぞ!”だった(笑)。
“お前祈ってたんだろう!”と俺は応えた・・・。

ひどい人間だった俺がクリスチャンになったとはとても信じられなかったらしい。

そう神様は聖書でこう言っている、“神は世の中の愚かな者を選び、自分が賢いと思っている者達を見下すと”。

俺は本当に変わり始めた。信じられないほど変わり始めた。
俺の力ではなくジーザスの力で。
ジーザスに関して分からなかったことも分かり始めた。
ジーザスが十字架で死んだ理由は、俺たちに神様への道を示すため。
神だった存在が、人間という形で地上で行き、神自信が神さまへの道を開き、神と人との間にあった壁(罪=神を無視する人生と思い)を自分が十字架で背負うことによって取り除いた。
それを信じる者は救われる(永遠の命と天国へ行く保障)を与えられる。

最初はあまりにもおとぎ話のようだった。
でも思った、“奇跡を信じて見ても良いかも”って。
奇跡や夢、そして希望を信じられない人間にはなりたくない。
世の中が作り出し“現実”と呼んでいる現実ですら“本当の現実”ではないと思う。
人の見栄や意見、自分勝手さや文化から生まれたものが多い。それが必ずしも良いものとは限らない。
だったら俺は“神の現実”を信じたいと思った。
多くの人々の人生を変えてきた聖書という神の言葉で・・・



これからのストーリーはまた機会があったら話しましょう。


これを読んでいた人達で、まだジーザスを信じていない人がいるなら、是非信じて欲しい。
本当の自分と世の中のあり方を知って欲しい。
本当のすばらしい人間関係を築いて欲しい。

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2008年11月28日 (金)

クリスチャンになった理由 Part 4

遅くなりましたが、前回に引き続き・・・。

ジョニーの友達の家を離れた俺は行く先もなく金の無駄使いもできないので、チューリッヒの空港で3週間過ごすことにした。日中はスイス中をバックパックで歩き回り、夜には空港にもどりベンチで寝た。街中に出るときはバックをロッカーに預け遊んでいた。
そんな中あまりにも時間があったので、ジョニーに“神を見つけろ”と言われた俺は考え始めた。

どうやって本当の神を見つけようかと。
日本人として一番身近にあるものは仏教ってことで仏教のことを色々調べ始めた。
本やインターネット様々なものを通して仏教の考え方や教えなどを勉強した。
結局分かったことは、仏教は自分で自分を変えて神に近づけだった。仏教の祖であるブッダ(釈迦)である本人ですら“私は神ではない”とはっきり言っていた。考え方や教えは素晴らしい、でも問題は俺にはいくら努力しても自分を少ししか変えられなかった。しかも行き着くところは必ずしも神とは限れない。
そのあとイスラム教、ヒンズー教も勉強した。2つともその国の文化とかなり融合した宗教だ。
そういう意味でもユニバーサルな信仰ではないと感じていた。日本でイスラムやヒンズーの信者としてやっていくのははっきり言って文化的に無理がある。

さらにそのすべての宗教に共通していたことがあった。
それは、結局“自分で何とかしろ”だった。
良い事して、座禅組んで、悟りを開き、預言者に従い、同じ方角にある決まった時間に祈り、そして最終的に死んだときには天国に行くかもしれないである。その神々の気まぐれによって死後の行き先が決まってしまう。

正直言って“なんだそれ?”って感じだった。

そんな中、3週間後にはイギリスの英語学校に戻り、俺のクリスチャンの友達に再会した。
イギリスに戻ったとき、一番最初に会ったのは、語学学校の校長先生であるマーガレット先生だ。彼女はメチャ厳しく、学校をサボっていた俺をたたき起こしにきたりしていた、母ちゃん的存在だった。
そのマーガレット先生が俺を見た瞬間こう言った、“竜太、スイスで何があったんだ?”。
俺は驚いた。“なぜ何かがあったんだと分かったんだ?”と聞いた。
そしたら彼女は“お前の顔つきが3週間前とはちがう。”
“何かを追い求めているんだろう?”というのである。
そして更に彼女はこう言った、“お前の探している答えはすぐ近くにある”と。

それから俺は俺のクリスチャンの友達に相談した。
スイスで起こったことや、神を探していることも話した。
彼らは一言こう言った。“お前が探しているのはジーザス(イエス)だ”。
“でもおまえは俺たちが何を言っても信じないだろう。”
“だからこの聖書を読んで見ろ”と言った。

そして俺は学校も行かずに聖書を一日中読み始めた。
飢え乾いているかのように、人生の答えをみつけようと聖書を開いた。

To be continued... 続く…

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2008年11月18日 (火)

クリスチャンになった理由 Part 3

引き続き。

俺のスイスの親友ジョニーは麻薬や酒をかなりやっていたため、よく“うつ病”だった。自分を何度も自殺に追い込んだことがある。

でもイギリスからスイスへ帰ってから数ヶ月はリハビリの病院へ通っていた。

お互い数ヶ月会っていなかったので、退院したら一緒にまた会おうと約束していた。
おれ自身も、奴とまた会えることを楽しみにして、スイスへ渡るための航空券もすべて用意して、一ヶ月スイスに滞在することにした。

そしてある日イギリスから飛び立ち、スイスのチューリッヒに着いた。

そこで迎えに来てくれる約束だった。

でも何時間経っても奴はこない。 
なんども彼のアパートに電話したが、“この電話番号は現在使われておりません”という返答だけが返ってくる。

仕方なく直接アパートに行くことにした。
やっとジョニーのアパートにたどり着いたが、誰もいない。
ドアには俺宛の手紙があった。

それは奴の友達からの手紙で、俺が来ることを前々知っていたらしい。
そしてその友達に会って聞いた “…はどこにいるんだ?”と。

“彼はもうこの世にいない” 
“お前が3日前にジョニーと電話した後すぐに、彼は自殺してしまった”と友達は答えた。

かなりショックだった。数日前に生きていたジョニーがもうこの世にいない?
実感がわかなかった。しかも“なぜ”だと問うばかりしかできなかった。

どうして良いか分からなかった。しかも帰りの飛行機の便は一ヶ月後。
泊まる場所もない。
だがその友達はよいクリスチャンで俺を数日なら泊めてくれると言ってくれた。

頭は混乱したまま、その夜は寝た。疲れていたせいかすぐに眠りにつけた。

そしてその夜に夢を見た。
その夢にはジョニーが現れ、俺と奴と二人だけで壊れたパブの中に立って話していた。
そしてジョニーはこう言った、

“リュータ。俺もお前も似たもの同士だ。同じことをしてきたし、お互い親友だ。でももしお前がこのまま同じ人生を進むならお前も俺のように死ぬ。だから人生を変えろ。そのために神を見つけろ。俺と同じ方向には行くな。”

そして次の朝夢によって目が覚めた。
その夢はあまりにも現実的で、あたかも本当にJonnyと話しているようだった。
そして頭の中にはジョニーの言ったことが何度も鳴り響いている。
“神を見つけろ”と。

“神だ? そんなものはいるか”と思ったが、心の中では“本当に実在するなら、見せて見ろ”と思っていた。

また俺の中には神に対する怒りがあった。
“なぜジョニーの命を使って俺にこんなことを言うんだ!”
“なぜジョニーの代わりに俺が死ななかったんだ!”と。

でもそれと同時にジョニーの死を無駄にしてはいけないと強く思った。
俺がジョニーのアドバイスを受け入れなかったら彼の死を無駄にしてしまうと感じていた。

そしてこのときから“本当の神探し”が始まった。

To be continued つづく・・・




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2008年11月11日 (火)

クリスチャンになった理由 Part 2

イギリスの田舎町にあるクリスチャン語学学校についた俺。

周りはクリスチャンだらけ。しかも田舎でやることがない。
だから俺は学校をサボって、憧れのイングリッシュパブに行き始めた。
ちょうどよくスイス人のある奴が俺と一緒にパブに行きたいと言い、友達になった。

そう俺は英語をパブで学び始めたのだ。
最初に学んだ言葉は“a paint of beer, please” “ビール、ジョッキでくれ”だった。
しかも俺の英語でのコミュニケーションは語学学校にサボらず行っている生徒達より上達が早かった。

なぜだ? 

それは語学とは勉強するものではなくしゃべるものだからだ。
余談だが日本の英語力は世界でもほぼ最下位だそうだ。それは英語のスタディーを読み書きから入ってしまっているからそうだ。

とにかくそんな形でイギリス文化に溶け込み始め、英語も上達して言った。

しかしそんなことをしていく中、いろいろな悪いことをそのスイスの友達から学んでいった。

彼の名前は出せないので仮名で“ジョニー”と呼んでおこう。
ジョニーは俺より5歳年上で、結構クールでハンサムな兄貴タイプの友達だった。
奴は“自分はクリスチャンです”と言いながら、酒はガンガン飲むは、麻薬はやるは、女遊びもひどい。 俗に言う“サンデークリスチャン”という奴だ。日曜日に教会行くだけで人生は全くダメな人のことを言う。

とにかく、そいつから色々な悪さを吸収しはじめ一年後には奴と同じ生き方をしていた。
そんな中クリスチャンが大勢いる環境にいたため、周りからは白い目で見られるようになり、学校でも問題児だった。

ジョニーと過ごす時間はすごく楽しいと共に、麻薬やデロデロに酔っ払うたびに虚しさを幾度も感じた。大学の代わりにイギリスに来て将来を切り開くはずだったのに、実際にしていることは先に進むどころか、どん底に落ち始めているような危機感もあった。
ジョニーは俺にも心を開き始め、持っていた問題も分かち合い、いつの間にか親友になっていた。

でもこのような人生が永遠に続くわけもない。彼はあくまでスイスから来た語学学校生。
一年後にはスイスに帰ってしまった。
それでも親友になった為、おれ自身スイスへ遊びに行き、そこでドラッグパーティーなどを開いたりしていた。

将来のことなどどうでもよくなっていた。ただこのライフスタイルがカッコいいと思いながら、それが永遠に続くかのように遊んでいた。

でもある日、俺の人生を180度変える出来事が起こった。

To be continued つづく・・・・

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2008年11月 7日 (金)

クリスチャンになった理由

今回から数回に分けて、ジーザスに出会うまでのストーリーをシェアして行こうと思う。
よく言われる、“え? クリスチャン?”、“え?牧師? 何でですか?”と。

クリスチャン一人ひとりには“証”という個人的なストーリーがある。それは他のどんな宗教にもないものだ。それはキリストだけにある救世主という概念がほかの宗教や理想にもないことだから。普通の宗教は、“人間がどうにかして神に近づく”がコンセプト。キリスト教は“神が人間に近づく”が基本だ。 だから恵みや信仰、希望がクリスチャンにはある。

まーとにかく。俺がジーザスにどうたどり着いたのかというストーリーを語ろう。

俺は東京に生まれた。
小さいころから負けず嫌いで、いつも気が強くやんちゃで活発的だった。
運動会ではなんでも一番にならないと大泣きしていたぐらいだ。
七歳までは巣鴨の近くの保育園・小学校に通い、普通の明るい少年時代という感じで過ごしていた。
でもある日、突然東京から引っ越して、千葉県に移ることとなった。理由は俺のオヤジのギャンブルが問題だったからだ。東京ではオヤジにとって誘惑が多すぎるということだった。子供のころパチンコ屋にオヤジをよく迎えに言ったのを覚えいる。
悲しい記憶だ。

何も分からずに千葉にやってきた。環境も変わり、オヤジが俺に(軽くだが)暴力的に八つ当たりするようになり、自分の活発的な性格もそれにより変り始めた。結局そんな中、両親は完全に離婚し、母の仕事も忙しくなって行った。

こんな環境の中、10代になった俺は色んな悪さをし始めた。住んでいた地域の治安も悪く、特に中学校・高校はマンガに出てくる不良たちがいるような学校が多い。
母も仕事で忙しく、ほぼ自由に遊び、悪さをしていた。

いま思えば色々な悪事を行うなかで自分のアイデンテティーや居場所を探していたのかもしれない。

そんな感じで18才になったときには、人生の方向性も決まらず、ましてや大学に進む勉強もしていなかった。すべてにおいて怠けていた感じだ。

そこで浪人生になって大学に行こうと思っていたが俺の母は俺の性格を見抜き、浪人しても勉強しないで遊びまくると分かっていたので、海外に俺を飛ばすと言ってきた。
遊んでても何かしら身に付けさせようと、英語をしゃべる環境に置こうと考えたんだろう。

最初は行きたくなかった。理由は簡単。日本のマンガや番組などのエンターテイメントが見れなくなってしまうからだ(笑)。また友達とも離れたくなかった。
でも俺がどういう馬鹿げた人生観をもっていたかは分かるだろう。

結局、いろいろ語学学校を探した末に、イギリスの超田舎にあるほとんど日本人のいない学校に行くこととなった。日本人がいたら絶対日本語を話すだろうと俺の母は考えていたからだ。しかもイギリスに大金は叩いて送り出すからには、英語を身に付けるということは絶対条件だったからだ。

18歳の春、俺はイギリスに初めて渡り、田舎町にたどり着き、その語学学校の正門を入っていった。

そこにあったサインには Theological College & Language School(聖書学校および語学学校)と書いてあった。英語のできなかった俺にはどういう意味か分からず、ましてやそれがクリスチャンの学校だとは知るはずもなかった。

To be Continued... つづく・・・

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2008年10月31日 (金)

ジーザスライフハウス成長の鍵 パート3

引き続きJLHの成長の鍵となることについて書いていきたいと思う。

今回はリーダーシップをもっと細かく見ていこう。

ロッド先生や多くの世界的な牧師が教えているように、
リーダーシップ=他の人への影響力だ。
いままで色んなリーダー達を見てきたが、見かけ上のリーダーたちと、本当のリーダー達がいる。その人を真のリーダーにする唯一のクオリティーがある。
それは“他人のためという心”だ。英語では“Othermindedness”。
自分の利益のためだけに動くリーダーは本当のリーダーではない。
自分の地位のため、自分の給料のため、自分の評判のため、自分の名声のため、自分の自信を付けるため。
このような動機で牧師になったり、人の上に立とうとしたり、伝道すら自分勝手な目的でやるクリスチャンも多くない。
人をリードするからには、人への思いやり、その人に成長して欲しいという思いなしでは導くことはできない。
ロッド先生を見ていても本当に日本を愛して、“日本人のため”にという思いが強い。
“この人は俺以上に日本を愛しているのか”と思うほどだ。

リーダーと普通の人の違いは、片方は自分の世界だけに生き、もう片方は自分の世界以上のもののために生きているということ。だから真のリーダーは器がでかい、考え方やビジョンもでかい、夢も、影響もすべてがでかい。なぜなら自分という世界には住んでいないからだ。だから本当の神様からのビジョンも自分のためのものではなく、他の人のためとなる。

そこでJLHリーダーたちの気をつけていることを見てみよう。

1、他の人の成長重視
あるリーダーは自分の下にいる者たちの成長を止めてしまう。その人が自分より上に成長して欲しくないからだ。そういうリーダーはすべての仕事を自分で抱え込み、特に目立つことは全部自分でやる。誰かが目立つと嫉妬して、最悪の場合その人を批判する。

JLHでは人を“リリース”(解放)すること中心に動く。
もし自分自身よりある分野に優れている人がいればその人を勇気付け、自分よりも偉大なリーダーになれと常に励ます。また下にいる者達がもっと成長できるように、自分自身のリーダーシップを高めようと努力する。ジョンマックスエルが言う、“ふたの法則”だ。
人は自分の上にいるリーダーのレベル以上には育たない。それ以上行くにはリーダー自信が成長するか、他のもっとハイレベルなリーダーについていくかだ。
JLHのリーダーたちは自分が“ふた”になってしまうよう心がけないといけない。下の者成長を止めているリーダー達のほとんどは、自分に自信がないか、成長していないリーダー。

2、良い雰囲気を作り出す存在になる

リーダーがある故に、周りへの影響は大きい。もしリーダーが不機嫌なら、周りの人も気付くし、悪影響を及ぼしかねない。またリーダーがストレスしていれば、周りもストレスした雰囲気になる。
だからロッド先生は、リーダーの表情、態度、見た目、ポジティブさにはすごく厳しい。
いままで見てきた多くのリーダー達の中には、“ほんとにこの人人生楽しんでるの?”と思うほど、喜びも無く、格好も暗く、言うこともネガなひともいた。そういう牧師達を見ながら、“牧師になりたいとは思わなかった”。
リーダーが周りの雰囲気を下げてしまったらいけない。
人々がリーダーに求めるものは“安定感と安心”。
そう、常に“大丈夫だよ”というメッセージを発していなければならない。たとえ問題が起こったとしてもパニくらないものだ。
人にあったときはまずポジティブなことから話す。家に帰って来たとたんに愚痴をこぼすことはできないのと同じように、まずはポジティブさから入る。
その良い環境を作り出した後に、問題の対処や話をすることを心がける。
まわりに影響されるのではなく、周りに良い影響を与える者になることはリーダーだけではなく、クリスチャンとしてしなければいけないことだ。

3、大きな視野を持ち、積極的になる
リーダーは全体を把握してないといけない。自分の部署だけや、仕事だけでなく、いろいろなことがどうかみ合って動くかを見なければけない。そしてその場で実際なにが起きているのかを把握する。そうすれば先を読みをできるということだ。
例えば、部屋が寒いと感じたとしよう。リーダーじゃない人達は、そこでただ上着をきるだけだ。ちょっと積極的な人は、寒いということをリーダーに言うだろう。でも本当のリーダーは寒いと思ったら、エアコンを調整しに行く。ハイレベルなリーダーは既に他のリーダー達に寒くなったら、調整するようにと指示を前々に出しておく。
これは自分だけを考えていたらできない。自分だけを考えている状態は、ただ寒い思ったとき上着を着るのと同じだ。
大きな視野を持っている人は、次に何をすべきか分かっている。
それはすべてにおいて共通すると思う。
だからJLHリーダーたちには、リーダーに言われる前に行動しろと言っている。
一番嬉しいのは指示を出したときに、“あ、もうそうしました”という答えだ。
そういうリーダー達は必ず大物になる。

4、絶対なるコミットメント
あるリーダーたちはこう言う。“あ、ちょっと仕事忙しいんでリーダー辞めます”、“結婚するんでリーダーや辞めます”、“子供できて忙しいのでリーダー辞めます”という。
リーダーシップは単なる時期的や地位的なものなのか? 真のリーダーは何があってもリードすることは辞めない。なぜだ? それは“人を導くこと”が生き様でありライフスタイルだからだ。
このようにリーダーを止めていった人達は結局、人のためにリーダーやっていたのではないのだろう。自分勝手な都合で、リーダー気分が味わえただけなのかもしれない。
リーダーになるということは人生を常に前進させていくという覚悟を決めた者たちだ。
どんなときでも成長し、人と世の中にに良い影響を与えるという覚悟だ。
それが仕事でなくても、その地位にいなくても、すべて必要なものや環境がなくても、本当のリーダー達が何かしらの影響を及ぼしていくだろう。

そう、マザーテレザ、キング牧師、ジーザスのように。

みんなも素晴らしいリーダーになっていこう!

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