2009年10月29日 (木)

リーダーなるということ

自分にとって、ジーザスライフハウスで一番磨いてきたスキルといったら、
リーダーシップだろう。
また俺はリーダーとして完璧でもないし、まだまだ先がある。

でも最近頭に過ぎる言葉はこれだ。
“リーダーになるということは、自分の権利をどんどん縮小し、責任感を増していくこと”。

これは多くの偉大なリーダー達が言っていることでもある。
リーダーシップのマスターでもあるイエスも同じことをペテロに言った。

“あなたが若いころは自分の着たい服を着、行きたいところに行った。でもこれからはあなたは自分の手を広げ、他の人があなたに服を着せ、あなたが行きたくないところに連れて行くだろう。” ヨハネ21:18

これはペテロがどのような残りの人生を過ごすかの預言でもあった。

でもそれ以上にイエスは彼のリーダーシップのことを言っていたと思う。
そして、その後ペテロは歴史上初の教会のリーダーとなった。

人生でリーダーになり、大きなビジョンを成し遂げるためには犠牲を払わなければならない。
多くの人々は成功者の成功の部分だけを見て、ねたみ、それを欲しがる。
でもその成功者達がどれほどの犠牲を払ってきたかを知らない。
彼らは、時間、努力、お金、あるときは人間関係を犠牲にして成功につながる。
それが神の為にしたことなら、神は何倍もの祝福を返してくれるだろう。
そうでないのなら、富と成功を得る代わりに、本当の幸せを失うだろう。

でもすべての偉大なリーダーが捨てなければならない共通の要素がひとつある。

それは“自分”だ。

イエスはまた言った、“誰でも私についてきたいと思う者は、自分を捨てて来い”と。

また“リーダーシップは仕えること”だともイエスは言っている。

俺たちは、“自分のしたいこと”、“自分の心地良さ”、“こうでなくてはいけないという自分の権利”、“自分勝手な夢や願望”、“自分の為だけの利益”をすべて捨てていかなければ、素晴らしいクリスチャンリーダーにはなれない。

俺にもクリスチャンになったばかりのときは、それらを捨て切れなかった。
“このようなスタイルの牧師になりたい”、
“こんな音楽スタイルでワーシップを導きたい”、
“こんなスタイルの教会のほうが良い”、
“こうすれば良いのに、ああすれば良いのに”、
“なんで神様に用いられないんだ・・・、他よりも俺のほうが良く分かっている”。

そして自分の思いどうりにやらせてくれない教会に対してネガティブになり、それをさせてくれる場所やミニストリーを求めてさまよう。

そう、すべては自分の権利と見方を主張していた。
神の為と言いながら、結局はリーダーに反抗し、自分ならもっとマシにできるというプライド。
神が嫌う最悪の罪だ。

そして多くの若いクリスチャンも同じ罠にかかっていると俺は感じる。

結局は、神と人々のため。
教会は神と人々、人々と神。
他の人を育てるため、導くため、弟子訓練するため、自分よりも偉大なものにするためでないのなら、すべては偽りだ。
それは神のためではなく、自分の欲望のため。

それに初めて気付いたとき本当のリーダーとしての成長が始まったと思う。
そして自分のリーダーに仕えるという大切さ。
上のリーダーに従い、その人を自分以上に建てあげる事の大切さ。
自分のリーダーを大物にする大切さを学んだ。
それが神の方法であり、本当の成功への道。
そして俺自身が自分のリーダーに仕えたように、俺も将来仕えられるだろう。
自分で撒いた種は自分で刈り取る。

もしリーダー、教会を裏切るなら、自分も将来裏切られる。
中途半端に仕えるなら、将来でも中途半端な弟子しか自分に付かない。
影で文句を言うなら、自分も影で避難されるだろう。

皆のリーダーシップはどうかな?
もし今までのリーダーシップが自分中心であるなら、そこから先へは行けない。
俺たちの限界を突破しよう!“自分”という殻を破って!






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2009年10月22日 (木)

本当の恋愛、本当の愛って?

最近気になることがある。

それは出会い系サイトや、相性マッチ、草食男子系・肉食男子系などなど恋愛に関して今まで以上に盛んになってきていることだ。
今の日本社会は、結婚できない世代として見られている。
30才以上になっても結婚していない女性が増え、また結婚したくない女性たちも増えている。
でも大半の人達は内心、“素敵な出会いをしたい”、“結婚したいと”思っていると思う。

うちの教会でもシングルの人達が大半だ。
昔は女性メンバーのほうが圧倒的に多かったが、今では男性約45%、女性約55%というぐらいまで、男性が増えてきている。それは良いことだ。
俺の思いは、女性の皆さんにすばらしい男性を見つけ、すばらしい最高の結婚生活を送って欲しいということだ。
だから男性の牧師として、日本人男性をもっと多く救い、真の“男”にしていくことに情熱を持っている。男性軍には自信と愛を持って、女性にアプローチして欲しいと思う。
でも現実はシャイな男性ばかりだ、また自分の考えや自信を持てない男性、女性に圧倒されてしまう男性と色々課題は多い。

女性軍には、“普通は男性から誘う”という間違った考えを直し、自信を持って男性にアピールするように呼びかけている。

でもここで最近、またまた気付いたことがある。
男性も女性も両方犯してしまっている間違いだ。

それは最近の恋愛は“自己中心的”だということ。

多くの人の動機は、“幸せになりたい”、“優しい人が良い”、“美人をゲットしたい”、“さびしくないように恋人が欲しい”、などなど思う気持ちで恋愛を求め、関係を始める人が多いだろう。これらの気持ちは悪いものではない。でも本当の恋愛でもない。
なぜならこれらの気持ちは結局、“自分の為”だからだ。

自分の願いのため。
自分の好みの人
自分のニーズを満たしてくれる人
自分の理想のリストにマッチしている人
家族を持つため、子供を生むため。
金銭的に安定するため
働かなくてよくなるため

すべて自分中心だ。
本来、愛することは“与えること”が中心のはずなのに、現代の恋愛は受け取るためになっているような気がする。
その人が本当に好きならば、その人の本当の幸せを願うのではないか?
たとえ一緒にならなくても、なっても・・・
そしてその相手が同じ気持ちを返してくれた時、結婚というものが成り立つ。
与え合う存在。それが本当の恋愛であり、聖書で言う“与える愛”、“無条件の愛”だ。

それを心で理解しない限り、神からくる本当のパートナーには会えないと思う。
本当に人を愛せないのなら、幸せな結婚も無理だろう。

一度、間違った自分勝手なリストや思いを捨ててみたらどうだろうか?
相手の為を思い、人を好きになれるように。

LOVE IS GIVINGだね。
そしてその後についてくるものは、すべてギフトとなるだろう。

パートナーがいることは“当たり前”ではなくギフトだ。

聖書(箴言18:22)にはこう書いてある;

”良いパートナーを見つける者は、神からの好意を受ける”と。

恋愛は、そして結婚は祝福となるもの。

祝福とならない関係ならば、シングルでハッピーでいたほうが良いとも言える。

結婚しても、不倫と裏切り、憎しみと家族の崩壊があるよりは全然ましだ。

自分勝手さを捨てることができなければ、どんな相手でも、欲望に飢え続けると思う。

自分勝手さと言うブラックホールがある限り“本当の愛(恋愛)”は見つからない。

みんなは本当の恋しているかな?

すばらしい結婚をしよう!

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2009年10月16日 (金)

弟子を作っていくことの重要さ

弟子を作ること、これはジーザスライフハウスの最大の長所であり、今の世界中の教会に必要なことだと思う。

教会はサイズだけならいくらでも大きくすることはできるだろう。

素晴らしいワーシップや人の好みに合わせて教会を構成すればある程度人は集まる。
でも本当に永遠に残る教会は、外側(イベントや人々のニーズに合わせたミニストリー)では確立できない。それはイエスの人生のフォーカスにもはっきりと反映されている。
イエスの地上での人生の最後の三年間。そこでイエスは何に一番時間を費やしただろうか?

イエスは本も書かず、組織も立ち上げず、ビジネス会社も作らず、ましてやカウンセリングミニストリー、カンファレンスや伝道集会すらもしていない。海外へ飛ぶこともせず、イスラエル国土内で神様の国を伝えただけだった。もちろんネットもない。

それでも彼の影響力を通して世界が変わり、歴史でさえも区切ってしまった。
その秘訣は?

それは弟子だ。

12人の弟子を集め、一人は裏切ったが、11人を中心に世界にイエスの教えが伝わって言った。トマスはアジアへ渡り、パウロはローマやコリントなどの国々へ。ペテロは地域教会(マザーチャーチ)としての責任者として、そこからリーダーシップと指示の責任を持って世界を変えた。12人のイエスの弟子が元となることによって、世界が揺るがされたのだ。

イエスは彼らの可能性と未来を見据え、常に共に過ごし、そしてクリスチャンリーダーとして鍛えていった。そして彼が言ったことはこうだ、”私は私の教会を建てる”、”そして世界の人々を弟子として、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けろと”。

そう、弟子を作ることが最大のミッションであり、目的だとイエス自身が言っている。

これは今の時代のクリスチャンにとって最大のチャレンジだろう。
弟子を作ることよりも、ダイナミックな説教をすること、預言やカウンセリングでミニストリーを建てること、伝道集会でできるだけ多くの人を呼んで救うこと。これらのことは良いことだが、必ずしも人間関係と弟子の関係が構成されるとは限らない。正直言うと、これらの陰に隠れて、密接な人間関係を築くことを恐れてしまっているクリスチャンが多い。
なぜならある意味楽だからだ。

“伝道者”や“メッセンジャー”、“預言者”、“クリスチャンアーティスト”として教会をやイベントを回ることはエキサイティングで、外側の華やかさがあるだろう。メッセージでも同じものを起用すれば良い。でも逆に、そこで救われた人と実際に関わり、人間関係を持っていくことはある意味現実的なことだ。

そこには人との葛藤があり、時には理解してもらえないことや、嫌われること、バックスライドするクリスチャンたち、うまくいかないのを自分のせいにされたり、がっかりすることがいっぱいだ。ある意味華やかではなく、ドロドロした人間の性質との戦いだ。イエスが言ったように“お前らはなぜ分からないんだ”と弟子に嘆く時は何度もある。

だから多くのクリスチャンはで弟子訓練から遠ざかってしまう。
神様の為には何かしたいが、他の人を弟子訓練することを恐れる。そしてそれから目を離し、華やかなミニストリーだけ求め始める。そして弟子訓練をしようとする“普通の人間関係”がある“教会という存在”から離れ、さまよう。
最悪のケース、クリスチャンの“エキサイティング”な部分だけ求めるようになり、興奮するミニストリーや宣教へ、聖書学校へと点々とする。でも実が出ていない、弟子も自分の人生にはいない。ましてやキャリアや仕事もままになってなく、途方にくれる。
実はこれは俺自身がさまよっていた“フェイクのクリスチャンの世界”だ。
多くの若いクリスチャンも同じ状況にいると思うし、実際に会ってきた。

弟子訓練から逃げることは、結局自分自身からと神様から逃げていることだと分かった。
心と情熱を置ける教会に身を置き。クリスチャン人生をゼロから始めることをしなければならなかった。クリスチャンとして普通に働き、“普通”のなかでも神と喜びを見つけ、”普通”のなかで普通の世界を変えていく。そうイエスがしたように、イスラエルという国(彼にとって普通だった)から変えていった。そこには毎日・毎週会う人達がいる。喧嘩も葛藤もあるでも、本当の仲間ややるべきこと、使命、そして本当の弟子達がいる。

今俺のセルグループの中には10人のリーダーたち(弟子達)がいる。同じビジョンをもち、同じ日本人の為に情熱を持ち、同じ教会で世界を変えようとする仲間だ。ひとりひとり個性もあり、面白い奴らだ。

そいつらと毎週会うのが楽しい。そして会うたびに俺の使命と将来はこいつらと共にあると確信できる。イエスが12弟子たちと同じだったように。今ならイエスの思いが理解できる。
イエスが自分の弟子に言ったように、“お前達は俺よりもでかいことを成し遂げるだろう”と
俺は自分のリーダー達に思う。そして天国で永遠に仲間、そして同士として過ごせるだろう。

皆にチャレンジしたい。みんなにはそのような仲間(弟子達)がいるだろうか?
一人、二人でも良い。同じ教会に根付き、同じビジョンを共有し、生きている仲間を。
それが真の教会を立ち上げ、日本が変わると思う。

弟子訓練を。人間関係を優先順位にしよう。
“教会は神と人々、人々と神” ブライアン・ヒューストン
人々がいる教会と一緒に成長し、使命を全うして欲しい。

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2009年10月14日 (水)

コーチングコース PART2の2

引き続き、コーチングコースの神様の言葉について。

ジーザスライフハウスでは、ジャーナリングということを進めていることは前のブログでも書いたと思う。
ジャーナリングは単純な作業。
聖書を読み、印象に残ったことや思ったことを書き残し、神様が自分の人生に関して言っている事を覚えていくものだ。

ライフグループ(セルグループ)では、このことを必ずするように薦めている。
クリスチャンとして毎日、聖書を読み神の言葉によって生るのは当たり前のことだ。
ジーザスライフハウスではクリスチャンじゃない人達でもジャーナルをしている人が多い。
彼らはいずれクリスチャンになるけどね。

でもこれも強制ではない。やりたくなければそれでも良い。
その代わりライフグループにも入らなくても良い。
なぜならライフグループは弟子訓練の場所であり、変わって成長したい人達の集まりだからである。教会のビジョンやリーダーシップに従い、成長したくないのなら、ライフグループに入る必要もないだろう。

でもジャーナルには力があり、生きる力と人生の知恵を神様からもらえると信じている。
それはメッセージを作るためでもない。説教の為でもない。他の人に教える為でもない。
まず最初に、自分のために。成長するために。そして神様をもっと知るためにだ。
単純な、聞いたことのある神様からのメッセージでも、自分の心に語っているならそれで良いんだ。それが毎日の新鮮な神様からの言葉であればね。

ここでジャーナルすることについてのアドバイス。
まず毎日続けることが大切。
ある人達は、神様の言ってることがはっきりと分からないからと言って、すぐ諦めてしまう人達が多い。

でも考えて見て欲しい。

赤ん坊ですら生まれたばかりの時は、母親の声の認識もままならず、言っていることの理解はできない。でも一緒にお母さんと過ごし、声や言葉になれていくことにより、理解力を着け、いずれは言葉をはっきりと理解する。
クリスチャンでも全く同じ原理だと思う。

聖書では人がクリスチャンになると、“生まれ変わる”ということを言っている。
ようは生まれたばかり状態は、神様の中でも赤ん坊と同じだ。

でも神様の言葉を聞き続け、神様の声や言い方に慣れて行くことにより、神様とそうでない声の判別もでき始める。もっとなれていけば神様の言葉自体を理解し始める。
そう、聖書を続け、理解しようと毎日心がけることによって判断力が身につく!

多くの人はクリスチャンとして長く生きながらも、神の言葉と神の声の判別をできない人達が多い。それは聖書をちゃんと読んで人生に適応してない証拠だ。

うちの教会では実際、まだ数年のクリスチャンでありながら、多くの先輩のクリスチャンよりも成長し、成熟している人達が多くいる。神の言葉に従い、理解し、素直に実践しているからだ。クリスチャンは長さではない、どのような人生の質と神様との関係を持っているか、そして地域教会という正しい健康な“土”の中で育っているかに掛かっている。

教会を転々とし、ビジョンや目的もなしに生きていれば、クリスチャンとして赤ん坊のままだろう。

神学の知識が一番重要なのではない、どれほど宣教や伝道の経験があるかではない。
でも、どれほど神様の言葉(聖書)を実践しているかだ。
ようは神学校を出たからと言って、成熟したクリスチャンになるわけではないということだ。
まして、その資格だけで牧師になるなどもってのほかだ。

ジーザスライフハウスではそのクリスチャンの“実”を見る。知識や肩書きではなく、実。

実=その人の人生そのもの。

喜びはあるのか?ちゃんとした決断を常にしているのか?人を愛しているのか?教会に根づいているのか?ビジョンは持っているのか?リーダーに忠実なのか?周りの人に良い影響を与えているのか?他の人々をイエスの導いているのか?

基本的なことを飛び越してはいけないと俺たちは思う。
単純だが、一番重要であり、欠かせないもの。
それがジャーナルであり、そこから来る実だ。

皆は聖書をしっかり読んでいるかな?

成長しよう!

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2009年10月 8日 (木)

コーチングコース PART2の1

今週のコーチングコースのテーマは、祈りと神様の言葉。
コーチ(リーダー)になるための最初のステップは、
“人をリードするまえに、自分をリードする”だ。
自己管理、と自己成長をしっかり保ち、神様と人々との関係を正しく守り生きることが大切だ。別に完璧になってからとは言わない、あくまで成長する態度や志をしっかりライフスタイルに表現しているかどうかが重要なことだ。
だからジーザスライフハウスでは、リスクを冒し、リーダーになるチャンスはいくらでも与える。完璧でなくても良い、思いと情熱と使命感、そしてリーダーとしての機能を既に果たしていればよい。資格や肩書きは後についてくる。

まーまず自分のリード。その中でも一番大切なのは、神様との関係
ようは祈りのライフスタイル。祈り=神とのコミュニケーション
うちの教会のモットーは祈りを複雑にしないこと。また特別化させないこと。
祈りにプロはいない。また専門化もいない。
聖書には“とりなしの祈り”という概念もあるが、決して特定の能力(賜物)としてではない。
単純に言うと、それは“他の人の為に祈り、神にお願いするだ”。
それはクリスチャンすべてがするべきであり、祈りは皆のもの。

だがなぜか、祈りの本が出版され、専門化され、あげくには祈り方なども教えられてしまっている。イエスは弟子に聞かれるまで、祈りのことを教えなかった。
俺が思うに、祈りを“システム”にしたくなかったのだろう。
“こういう祈り方をすれば神に聞かれる”という機械的なルールであってはならない。
そしてイエスが教えた内容も単純。方法ではなく、祈りの内容(主の祈り)と個人的な神との関係(部屋に入って祈れ)を重視している。また他の人間との関係(赦すこと)を強調している。最後に神様の国の拡大=人々が救われること、神様の影響力が広がることを祈れと言っている。

単純に言うと、“神様と人々との関係をしっかりして、神の言うことを聞いて使命を果たし、自分のニーズと人生の守りをお願いしろ”といっている。

どんな言葉を使うかや、祈る長さが重要じゃない。
逆に“同じことを何度も言うな”とまでイエスは言う。ハートだと。

そして聖書はこういう。“常に祈れ”と。
一日何時間ではなく、常にと。
どうやってそれをするのだろう?

ジーザスライフハウスでは、どんな思いや思えごとを祈りに変えろと教えている。
誰かのことをふと思ったのなら、その人のために短く祈る。
心配があるのなら神様にすぐにお願いして、心配事を預ける。
嬉しいことがあったのなら神様に感謝する。
チャレンジが仕事や学校であったのなら、“助けて”と祈ればよい。
自然に、日常に祈りと神とのコミュニケーションをすればよいと教えている。
声を変に出して祈らなくても良い、いちいち泣かなくても良い。泣きたければそれで良い。
うちの教会の多くの新しいクリスチャン達は言う、“それなら私たちにもできる”と。

祈りを開放しよう。

一日1時間祈れなかったから、朝早く起きれなかったと罪悪感を感じるのではなく、自然に祈ろう。うちの奥さんですら3時間ぶっ続けで会話するのは、おかしいだろう。

祈りを宗教化させない。それが真のイエスの思いだと思う。

ジーザスライフハウスでは、祈祷会をあえて開かない。
理由は単純だ。祈りをそこの場所だけに重視しないためでもあり、また特定の人達だけが祈るような環境も作りたくない。実際、結局祈祷会に集まるメンバーは、時間のあるおばさんたち。サラリーマンや男性陣がやたらと少ない。
でも男性も祈るべきだろう?!
そう思う。だから祈りの開放が必要だ。どんなライフスタイルでも祈るべきだ。
だからうちの教会の祈祷会はスポンテニアス(突発的)だ。
賛美チームはワーシップの前に。セルグループはスタバで祈る。
そこらじゅうで祈祷“会”をすれば良い。

祈りはライフスタイルだ!
皆も常に祈ろう!そして神様に応えてもらえる祈りを体験していこう!

次回は、神様の言葉と声を聞き、読んで、成長していくことを書こうとおもう。

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2009年10月 1日 (木)

Coaching Course 再スタート

今週からコーチングコースが水曜礼拝のビッグウェンズデーにて再スタートした。
このコースはジーザスライフハウスの文化と信じていることを表している。
だからここでも少しずつ説明していきたいと思う。

今回は、コーチングコース・パート1の内容のひとつ。
まずジーザスライフハウス教会を自分の教会としたいと思っている人達に教えていることは、
“この教会は私の教会!”っていう思いを完全にもって欲しいということだ。

うちの教会にはメンバーシップ(会員制)はない。
ジーザスライフハウスが求めることは、その人の署名ではなく、教会への情熱と確信。
実際多くの教会では、会員登録してもその本人が礼拝にちゃんと参加していないケースも多い。
ようは形だけではなくオーナーシップを持って欲しいということだ。
またうちに教会は束縛やコントロールは絶対にしないというポリシーがある。

教会を離れたければ、“そこにドアがありますのでどうぞ”という。ビジョンを共有できないのは残念だが、できない人達と一緒になっていても教会自体が前進できないからね。

でも逆に、ジーザスライフハウスに貢献したいというのであれば、しっかりやろうと進める。
それなりのリーダーとなっていくために必要なトレーニングもあるし、責任も持っていってもらう。なりたくないならそれでも良い。でも批判や教会前進の妨げにはなって欲しくない。

ようはすべてにおいて、“~しなければ”はうちの教会にはない、でもやるからには”~したい”という心でやって欲しいそれだけだ。それは献金も奉仕も、またセルグループも聖書を読むことも、リーダーシップに従うこともすべてにおいてだ。

教会はコミュニティーであり、神の家族だ。変な団体でもないし、政治団体でもない。
神を愛する人、また求める人達、そして神に会って変わりたいと思い、人達が集まる場所だ。

ここで“変わりたい”と思うことも鍵だ。どんな問題がその人にあろうとも、ジーザスライフハウスは拒否しない、でもその人が変わりたくない、このままで良いと思っている場合は別だ。イエス・キリスト自身もそのことをチャレンジした、彼が癒して、救った人達はほぼ皆、“良くなりたい”、“救われたい”と思っている人達だった。その動機がはっきりと分からない場合は、“何が欲しいんだ”とまでチャレンジした。

だからジーザスライフハウスでも同じだ。本当に自分を変えたいのか、成長させたいのか?それを問う。その本人が変わりたくないのなら、俺たちにできることは何もないし、はっきり言って教会にもいづらくなるだろう。もちろん深刻な問題を抱えている人は特別に対応しなければならないだろう。でも多くの場合はその人の意思に関わると俺たちは信じている。

次のコーチングコースの内容は、“教会の将来は私の手の中にある”ということを教えている。
ブライアン・ヒューストンがよく言う、“教会は神と人々、人々と神だ”ってね。
教会の存在は牧師だけに掛かっているのではない、その人々だ。
だけどなぜか知らないが、牧師だけや特定の長老やリーダーが教会のすべてをやってしまっているケースが多い。
俺たちは教会のすべての人の手によって教会を立ち上げて欲しいと思う。
役割は一人ひとり違うが、ひとつのビジョンのためにともに前進する。

同じキリストの体としてね。

ようは一人ひとりの態度や行動が教会の雰囲気、促進に影響するということだ。
お互いに愛し合い、赦し合い、仕え合い、励まし合い、歓迎し合い、そしてお互いを高めあうことだ。

悲しいことに多くのクリスチャンは、“自分の為”に仕えている人も多い。自分の教会のポジションを得るため、牧師になるため、賛美リーダーになるため。“私の奉仕”という考え方だ。

“仕える行動”は“仕える心”とは違う。仕える行動だけをしている人は、必要以上の努力はしない、ましてや進んで物事をやろうとはしないだろう。ようは自分の利益がある限りは教会に仕えるがそれがなくなればいなくなる。最悪のケース、教会の文句を言い、あれを変えたほうが良い、こうしたほうが良いと言いながら、自分自身で責任を取りたくないケースも良くある。また言われなければ行動に移さない。そんな態度はうちの教会では受け入れることはできない。それは分裂を起こすものであり、はっきり言って邪悪な態度だ。

でも“仕える心”も持つ人は逆だ。常に、問題よりも解決に目を向け、進んで教会をもっと良いところにするために、自ら行動に移す。言われる前に、既に物事の本質とニーズを把握しすでに解決を考える。リーダーにも、“ここを改善したほうが良いと思ったので、これこれのアイデアを考えてきました”という。またそういう人は、すぐに傷つくことはない。なぜなら自分のニーズが中心となっていないからだ。

自分のことばかり考えて仕える人は、すぐOFFENDされる。なぜ“他の人は私に話しかけてくれないのか”、“なぜ自分のアイデアを用いてくれないのか”、“なぜその地位をくれないのか”とドンドン傷ついていき、しまいには苦味になっていく。そうならないためには、教会を愛し、オーナーシップを持ち、そのビジョンを自分のビジョンとし、そして責任を一人ひとりが持っていくということだ。

もう、“あなたの教会”、“あの教会”という言葉ではなく、“私たちの教会”という言葉に変わっていくだろう。

本来この原則は当たり前に教会になくてはならないものだ。
現実に多くの教会にないということは悲しいと思う。
クリスチャンとして何かが違ってしまっている。
自分の母教会への愛を取り戻して欲しい。

ジーザスライフハウスでは他の教会を絶対に批判してはいけないと教えている。
なぜなら俺たちがONLY ONEではないから。
でもすばらしい聖書の原則を浸透させるきっかけとなって行きたい。
そして多くの教会に良い影響を与えたいという思いとビジョンはある。

イエスキリストが言った言葉を思い出そう。
“わたしは私の教会を建てる”(マタイ16:16-18)
ミニストリーを建てるとは言っていない。
伝道宣教、ワーシップ集会、クリスチャンバンド、ミッション、カンファレンスでもない。
教会だ。

そしてこれらのことは教会が中心となってやっていくことが本来のイエスのビジョン。
神様と神様の体(人々)を愛することに戻ろう。

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2009年9月 4日 (金)

ジーザスライフハウス7周年記念!

いや~。ジーザスライフハウスも7年を迎えた!
“7”と言えば色々な意味で、新しいシーズンということを表している。
神は7日目に休息をし、それがもとに一週間と区切りができている。
ヤコブは自分の妻を得るために、7年働いた。
モーゼとイスラエルにとっても7年という月日は大切な区切りでもあり、7年ごとに借金や貸しを帳消しにするという習慣があった。

また聖書で7いう数字は、完全を表す数字。何かが完結し、また始めるという意味。

そうジーザスライフハウスも7年を終え、新しい何かが始まる時期。
ドラマで言うとシーズン1終了かな?(笑)
そのシーズン1の中では色々なドラマがあり、新たな登場人物がいれば消えて行ってしまう人々もいる。嬉しい出会いもあれば悲しい出会い。問題もあれば、成功もある。
その中で乗り越えていける人達は強い。
そしてこの7年を心から祝える。

ある有名な牧師がこう言っていたのを覚えている。
クリスチャンと教会はバスで旅をするようなもの。
“最終目的地に向かい、バスは進んでいくが、挫折し途中下車するものもいれば、旅を捨てて降りる人もいる。”ってね。

俺は最後まで自分の使命、そしてジーザスライフハウスの行く末、また神様がこの教会を通してすることを見届けたい。

そして次の7年間は・・・シーズン2はとんでもなくエキサイティングな展開になっていくだろう!

だから皆にも一緒に今週末は祝って欲しい! 
一度バス下車した人がいればまた乗れば良い。
諦めずにいれば、素晴らしいことがこれからやってくる!

そして土曜日にはジーザスライフハウスで始まったばかりの日本語礼拝がある!
ジーザスライフハウスの日本人たち、次のシーズンはジーザスと俺たちが主役だ!(笑)
そしてその始まりがここにある。是非皆で来て欲しい!
盛り上げようぜ~~~~~~COME ON~~~~~!

ではまた明日!そして日曜日に!
Zenmap

詳細は http://www.jesuslifehouse.com

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2009年8月27日 (木)

360度 パート2

遅くなりました。
前回からの引き続きです。
今回はリーダーからついて来る人達、チームメンバー、そして部下へのコミュニケーションです。
まず最初にリーダーが心がけなくてはいけないのは、決断を中心としたコミュニケーション。

1.リーダーの役割は最終決断を下すこと。そしてその決断と行動に責任を持つこと。
自分のメンバーや部下に話すときには、具体的に何をしたいのか、目的は何なのかを明確に伝えなくてはならない。ある方法では部下に自分で答えを考えさせるために,”お前だったらどうする”という聞き方もあるが、それは自分のやりたいことを分かりきった上で使う方法だ。ビジョンを常に明確にしよう。なので会議やミーティングはただ相談する場所であってはならない。そのミーティングの後に何かしらの決断が下されていないなら、そのミーティングは全く無意味。そしてリーダーの責任はそれを決めること。

2.次はそれをする理由、”WHY”も明確に伝えなければならない。ジーザスライフハウスのすることすべてにWHYがある。“なぜそういうやり方をするのか”、“なぜそのスタイルや音楽を使うのか。” すべてに目的と理由があす。それをDNAと呼ぶ。うちらのリーダーたちの責任はそれを把握し、いつでもWHYを応えられるようにすること。うちらの教会はカルトではない。ついて来る人が納得した上で、ついてくるのが原則だ。脅しや、束縛もしない。すべてはその人に“~したい”を持ってもらうことが大切だ。

3.次は問題が起きた場合。例えばある下のリーダーが他のリーダーの問題や間違いを報告したとしよう。この場合一人のリーダーの情報ですべてを判断するのではなく、その一軒に関わるすべての人物やリーダーたちの意見を聴いた上で、真実を割り出し、決断をすることが大切。俺がよく言うことは“直接本人と話した?”と聞く。大抵の場合は、お互いに話し合って対処する前に、上のリーダーに問題を持ち込むことが多くあるからだ。まーこれは次回のメンバー同士のコミュニケーションにも関わってくる。

4.次、どのような場合でも個人的感情移入はせずに、問題に対処すること。個人的な好みや意見ですべてを決めるのは最悪のコミュニケーション。それはリーダーだけでなくすべての会話や伝達法においても同じだ。

5.何かを聞かれたとき、その答えがないなら焦って応える必要はない。うちの主任牧師の妻であるViv先生はかなり知恵がある人。何かを聞かれた場合、必ずちゃんと時間を取り、適切かつ明確な答えを考えてから応答する。時には“数日考えさせて”と言い応える場合もある。曖昧な返答は問題につながりやすい。

6.何も言わないことは、同意してしまっているということを覚えよう。セルグループでたまにあることだ。誰かが突然、間違っていると思われる強い意見を言い、リーダーが何も言わなかったので、他のメンバーが“それでいいんだ”と思ってしまうこと。Silence =YESだ。日本人はよくはっきり自分の意見を言えないことがある。それは良くないこと。なぜなら黙っていることで相手は良しとして捕らえてしまっている。すべては問題ないと思ってしまう。

7.最後に怒りやフルストレーション、ストレスからコミュニケーションをとらないこと。よく日本でいう八つ当たりだ。多くの上司が部下にしてしまっている。どんな状況でも部下のせいにしてはならない。責任者の仕事は責任を取ること。それは自分の感情にも責任を取らなくてはならない。そのようなリーダーが教会いた場合は、ロッド先生はメチャ叱る。人をそのように扱うことはクリスチャンとしてあってはならないからね。

すばらしいリーダーとしてすばらしいコミュニケーションは必須です!

ではまた次回!

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2009年8月 5日 (水)

360℃ コミュニケーション

これは今日のチームミーティングでシェアしたこと。

ビジネスや会社、チーム、様々な組織、そしてもちろん教会で適用できることだからシェアしよう。

これはおれ自身常にロッド先生や上のリーダーたちとのコミュニケーションで気をつけていることだ。

自分の上司やリーダー、さまざまな人々とのコミュニケーションはすごく大切だ。
聖書では俺たちの舌を制することで、人生もコントロールできるとまで言っている。

コミュニケーションにはさまざまな形や、言い方がある。

人のコミュニケーションは大体三つの分野に分かれる。
言葉、ジェスチャー(振舞い)、そしてスピリット(態度や思い、感情等)
これらを駆使し、俺たちはコミュニケーションを取っている。
ビジネスや学校になると、映像や音楽もプレゼンなどで使うかもしれない。
今回は、普段俺たちがリーダーや上司、同僚や仕事のパートナー、また部下やフォローアー(自分に従う人)たちへのコミュニケーションの中での一般的なアドバイスを載せよう。

これはうちの教会でも教えていること。

最初はすべての場合において重要なことをシェアしよう。

‐まずまず私たちのコミュニケーションは、その話す人達をアシストし、サポートするためだということを心に入れて欲しい。

-結果的に、ダメージを与えたり、ネガティブなものだったり、その人や組織を引き裂くようなものだったり、またチームや組織の勢いを殺してしまうような会話は絶対にしてはならない。

‐それは問題を指摘するだけのものではなく、解決法と答え自体を見出すことを目的としなければならない。
良くあるよね。問題ばかりあると文句言いながら、結局そいつ自身は解決しようとすらしない。

‐そして一番大事なのは、その人との友情や良い人間関係が築かれているかどうかだ。それがなければ伝えたいことも受け止めてもらえない。信頼がないからだ。人間関係から常に逃げている人は、コミュニケーションが下手だといっても過言ではないと思う。

1.“自分の立場から自分のリーダーへ”のコミュニケーション

まず上司やボス、リーダーに対してコミュニケーションを取るときの注意点。

‐まず自分のリーダーの大切な時間を使っているということを心に置こう。リーダーは多忙だ。時間も有効に使わなくてはいけない。だから会話をするときにベストな言い方と分かりやすい方法を常に選ばなくてはならない。

‐それはリーダーの重荷を増やすものであってはならない。その会話の後でリーダーがどのような気持ちになるのか考慮し言葉や言い方を選ぼう。

‐リーダーが何かの情報を忘れているときや、昔頼んだことをやってくれてなかったときに失望してはいけない。リーダーは多くの情報を聞き、それを処理している。部下や仕える者の役割は、それをバックアップしてあげること。忘れていたなら俺たちが思い出させてあげれば良い(何度でもしつこく!)

‐ある報告や情報を伝えるときには、必ずすべての情報を揃えてから万全の体制を取ってリーダーに伝えよう。もしリーダーに何かを聞き返されたり、この“あれはどうだ”などと聞かれた場合、すぐに応えられないようではダメ。すべてリーダーが質問しうることを想定し、リサーチをかけてから会話に持ち込もう。でないと“また調べてから来い。”と言われて終わるだろう。

‐問題と一緒に解決も持ってこよう。“こうしたらよいと思いますが・・・”というのはかなりアンプロフェッショナルだ。でも、“こうしたほうが良いと思ったので、それを解決しました”というのが俺たち仕える者の役目だ。でないと、“じゃお前が解決しろ”とリーダーに言われてしまうだろう。

‐話す内容は余計な段取りはなく、ストレートに要点をついて話そう。リーダーに余計な情報は必要ない。

‐リーダーがコミュニケーションの中で言いきれなかったことや、伝え切れなかったことまで把握しよう。リーダーが何をしようとしているのかを先読みすることが大切。またリーダーがぽろっと小言でこぼしたことでも、拾わなければならない。それによりリーダーの思いや考えをまとめていく必要がある。

‐最後にリーダーには隠し事は絶対しないように。どのような小さな情報でも必ずタイミングを見はかり、解決したことでも最終的に伝えなければならない。これは自分自身を守るためでもある。なぜならもし後で小さなことだと思っていた事が大きな問題になってしまい、リーダーに伝えていなかったら、責任を問われてしまう。

他にも、リーダーから部下へのコミュニケーション、同じチームや部署の仲間同士でのコミュニケーションがある。

でもそれは次回にしようと思う。
まーあまり皆さんのためになっていないようなら書くつもりはないんだが・・・。
みんなのリーダー達へのコミュニケーションはどうだろうか?
良いコミュニケーションでもっとスムーズにことが運ぶと思う。

頑張ろう!

www.jesuslifehouse.com

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2009年7月31日 (金)

一人ぼっちの日本人?

最近、よく考えていることは“仲間”という存在だ。

最近の日本人を見ていると、結構ひとりで何かをするという人が多いね。
おれ自身、海外へ行くまではそれが当たり前だと思っていた。
海外ではこのことが当たり前ではない。

一人で映画を見に行く日本人。
一人でレストランに入り、食事を堪能する日本人。
一人で旅行し、他の文化を楽しむ日本人。
一人でショッピングをし、カフェに座り、町並みの様子を見ている日本人。
一人で趣味に浸り、一人で何かにはまる日本人。
一人で自然に浸り、四季を味わい、何かを感じる日本人。

多くの人はこれを読み、“何が悪いんだ”と言うかもしれない。
別に悪いことじゃない。でも必ずしも良いことでもない。

でも日本人はもっとその“楽しみ”、“味わい”、“喜び”、“発見”、“考え”、“思い”、“時”、そして人生そのものを他の人と分かち合ってもいいと思う。

俺もこれらの事をずっとしていた。そしたらある日、外人の友達に言われた。
“何で一人なの?”、“俺も一緒に行っていいかな?”
俺はそこで気付いた。一人でする必要はないんだと。
一人のほうが楽な時もある、ショッピングや旅行などでの決断とかそうだよね。

でもそこで一人を選んでしまったら、大切な何かを失っていると思う。
人間としての何かを。分かち合い、お互いに学び、時には傷つけあうけど、また成長するチャンスを。
俺たち日本人はそういうことから逃げてしまっているのかもしれない。
引きこもり・ネット難民。みんなそうだ。
人間関係からの逃げに入っている。

聖書にはこういう言葉がある。
“二人は一人よりも勝っている”。
“人が一人でいるのは良くない”。
“つまずいても、引き起こしてくれる人がいない人生は虚しい”と。

今、俺は猛烈に“仲間”という存在に感謝している。

同じビジョンを持ち、同じ目的にために命をかける仲間。
お互いを見るのではなく、同じ方向を見つめている仲間。
失敗しても挫折しても、同じ勝利のために助け合う仲間。
批判されたときに、人生の本当の使命を思い起こさせてくれる仲間。

こんな素晴らしいジーザスライフハウスの仲間を与えられていることが奇跡だ。
そしてこれ以上の確信と強さはない。

すべての人が仲間にはならないだろう。
俺たちの考えや、ビジョン、価値観、またはやり方が嫌いな人もいるだろう。
それはそれで良い。

同じ志と強さと思いを持った人達と人生の旅をしたいよね?

みんなには“仲間”がいるかな?

いなければ見つけて欲しい。

その第一歩は、自分勝手さから卒業することだ。
自分の為ではなく、他の人の人生のために。
自分よりもっとでかい夢とビジョンのために。
その心さえ持っていれば必ずその仲間に巡り合えるだろう。

でもプライド(自己中)は俺たちを孤独にする。
一人で生き、一人で死んでいくだろう。

仲間に出会えるように!


ここで見つけられる人もいるかも?
www.jesuslifehouse.com

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